らば、こんな細筆を選ぶということはない。細筆をとる時は、何か実用あっての例外の場合のみであって、朝は木軸の大筆に、まずたっぷりと水を含ませることを楽しんでいたのですが、今日は、いきなり細筆を選んで、「ひとつ著作にとりかかる」とかけ声をしたところを見ると、筆の使用も、目途も、従来とは違い、翰墨《かんぼく》を楽しむというのではない、実用向きに使用して、この男がかりにも著作をする気になった動機というものがまた不審ではあるが、すでに今日から着手しようとおくびにも言い出したところを以て見れば、かねがねその下心はあったに相違ない。
 神尾主膳は著作をすべからざるものだときめてしまう理由はない。この男が著作をする、それはやっぱり似つかわしからぬところの一つのものではあるが――現に旗本や御家人で、絵師や戯作《げさく》を本業同様にしている者もいくらもある。大名高家でも、立派な随筆を世に残している人もあるのだから、神尾にしても、かりそめにも著作でもしてみようという気になったことは、すでに閑居善事の第二段であるかも知れない。
 下へ罫《けい》を入れた紙をあてがい、その上へ半紙を置いて、神尾は、さらさらと文字を綴りはじめました。暫くして、
「女|賢《さか》シウシテ牛売リ損ネル……」
と、二三度、口のうちでつぶやきながら、筆の進行をすすめて思案の体《てい》――
「女賢シウシテ牛売リ損ネル……」
 彼は、今、再三それを繰返して、
「はて、この故事来歴の出典は、どこであったかしら」
 思案の種はそれでした。
「女賢シウシテ牛売リ損ネル」という俚諺《りげん》は、日頃、耳目に熟していながら、さて、これを紙に書いて、その解釈を附する段になって、神尾がハタと当惑したのであります。
 この語の表現する意味は、女というものは、賢いようでも抜かりがある、いや、女の賢いのは、賢いほど仕損じがあるものだ、だから女の賢いのは危ない、女を賢がらせてはいけない――という戒《いまし》めになっているのだが、さて、これが出所はどこか、支那から来たのか、和製か、その故事来歴を知りたい、普通、会話として、常識としてでは、そんな詮議立てをしないでも通るが、著作として世に示すには、そんなことではならない。そこで、神尾が首をひねったのは、それを知るべく、いかなる参考書によったらいいかということの思案でした。
「曲亭の燕石雑志《えんせきざっし》なんぞにありゃしないか、あれは物識《ものし》りだから」
と言ってみたが、あいにく、ここにはその燕石雑志もない、三才|図会《ずえ》もない、どうも、この牛売リ損ネタ実例の出典に思い悩んでみても当りがつかないのであります。ついに神尾は一応断念して、
「明日あたり、市中の本屋をあさってみよう」
 そこで筆をさし置いて、また庭の面をぼんやりとながめていました。
 その時に、微風が吹いて来て、机の上を煽《あお》ると、さして強い風ではなかったけれど、半紙の薄葉《うすよう》を動かすだけの力はあって、二三枚、辷《すべ》るように、ひらひらと畳の上へ舞い下りました。
 神尾が、あわててそれを抑えにかかった手先から洩《も》れたところには、「半生記」との題名が読まれる。
 ははあ、著作といったのは、身の上を書いているのだな、しおらしくも、神尾主膳が自分の「半生記」の懺悔録でも書き残して置きたいという了見になったと見える。
 それに相違ない、神尾の著作といったのは、かねてよりの宿望で、自分の父祖から、わが身の今日までの自叙伝を一つ書いて置きたいという、その希望が今日になって実現しかけたというわけなのです。そうして、書き進んで、神尾は自分の母のことを書く段取りになりました。母のことを思い出して書いて行くうちに、右の「女|賢《さか》シウシテ牛売リ損ネル」につき当って、その解釈に当惑したという次第なのでありました。
 そこで神尾は、筆に現わすべき進行をやめて、その代りを頭の中に再現させ、自分の母というものの面影《おもかげ》を脳裏に描いてみました。
 神尾主膳の母――
 それが当人の頭の中での主題となっているのであります。外で見ては、ちっともわからないけれど、神尾の頭の中では、幼少の時代の自分と母との世界が、まざまざと展開している。母を想像する裏には、どうしても父というものが浮んで来なければならぬ。
 自分の父というものは、ぐうたらで、のんだくれで、のぼせ者で、人から煽《おだ》てられれば、財産に糸目をつけなかった。どうにもこうにも手のつけられないどうらく者であったということは、自分も人伝《ひとづて》によく聞かせられて、事実そうだと信じている。その父に輪をかけて悪辣《あくらつ》になったのが、この自分だということをも、自分ながら相当承認している。人の噂《うわさ》から言っても、自分の印象から言っても、わが父なる者は、やくざ旗本の標本であったに相違ないとして、母は、それとは全く異った賢婦人であったということは、世間の通評であり、自分もあえてそれを否定しようとはしないが、よくよく考え直してみると、その信念がぐらつく。わが母は果して、父と全く打って変った良妻賢婦であったろうか、父が箸《はし》にも棒にもかからない欠陥のすべてを、母が埋合わせて、持ち合せていたように信じてよいものだろうか。
 少なくとも、母がそれほどの賢婦人であったなら、この現在のおれというものを、こんなに仕立てないでも済んだのではないか。
 わが母の賢婦説は再吟味の必要がある。父のぐうたらは検討の余地なしとしても、わが母というものの世間相場は、改定される必要はないか。
 神尾は、今それをつくづく思い返している。
 世間の人はその当時、言った、神尾の家は奥方で持っているのだ、主人は論外だが、奥方がしっかりしているから、それで持っているのだ――これが世間の定評になっていたのに、当人の母は、また唯一のあととり息子たるまだ頑是《がんぜ》ないこの拙者の耳に、タコの出るほど言い聞かせていたのは、
「神尾の家は、お前が起すのですよ、お父さんは駄目だから、お前が立派な人になって、見返してやるようにしなければなりません」
 これが母の口癖であった。
 だから、自分も、父というものは駄目なものだ、父というものは厄介者だ、自分たちの名誉を害し、生活を動揺させる以外の存在物ではあり得ないものだ、父に代って、世間を見返してやるというのが、自分の将来の仕事でなければならない、という意味での教育をされて来たのだ。それでも、少年時代は父を軽蔑するまでには至らなかったが、父の存在というものを無視すべきことは教えられていた。
 そうしてまた、父の生活ぶりそのものが、ちょうど母の教えるように、自分にはみなされて来ると、そのだらしのないところが目につき、青年時代の初期から、何かにつけて父を軽蔑しだして来たのだ。そうすると、父が時としては烈火の如く憤《いきどお》って、自分を叱責したり、罵倒《ばとう》したりする、それが腕力沙汰にまでなった時、軽蔑が変じて反抗となってしまった。そういう時に、また母が必ず、こちらに加勢してくれた。
 父の評判はますます悪くなる、それに反比例して母の人気はよくなる、神尾家は主人はぐうたらだが、奥方がしっかりしているので持っている――その極《きわめ》はいよいよ本格的となって、今日までも動かせないでいるのだが、果して、それが無条件でそのまま受取れるか。
 母は、もとより父のように品行上の欠点はなかった。品行上の欠陥がないということは、世間的には、すべての性格的の欠陥を帳消しするのと同じ理由で、品行上に些細《ささい》な欠陥でもあれば、他の性格的にどんな美点善処があろうとも、たいてい葬られてしまう。品行上では箸にも棒にもかからなかったわが父が、性格的には全く欠陥ばかりであったろうか。何かしら、認められないところに良処はなかったか。父は世間からは悪評判で葬られていたが、友人間ではむしろ敬愛される性格と趣味とを持っていたようだ。母はそれに引きかえて、第一、性格に潤いというものがなかったようだ――それから……
 母が、世間に言われているような賢婦人だったら、父をあんなにはしていなかったのではないか。よし、父を救うことが絶望だとしても、自分をこんなにしてしまうまでのことはなかったのではないか。
 自分は、今となって、母の再吟味に続いて、多くの遺憾《いかん》な点を見出す。それと共に、父の性格に、何か埋もれているところはないか、何かなつかしいものが隠れていたように思われてならない。
 女が第一線に立つことは、よかれ悪《あ》しかれ不自然である。不自然が最善であり得るはずがない。古人が「女子ト小人ハ養ヒ難シ」と言ったのは、牝鶏《ひんけい》の晨《あした》することを固く戒めたのも、今となって、神尾主膳にはひしと思い当る、現にあのお絹だ――
 見給え、あれがこのごろ調子づいていることを。七兵衛から金銀を捲上げて、この生活にゆとりを見せたのも、自分の手柄だとしている。
 異人館へ出入りして、外人をひっかけて、何か物にしようというたくらみ[#「たくらみ」に傍点]をいっぱしの見得《みえ》のつもりでいる。
 主膳は、そこまで考えると、あのお絹という女と、自分の母とがその当時、どういうおもわくの下に生きていたかを知りたい気持になりました。父の正妻であったわが実の母と、父のお手かけであった今のあのお絹とが、根本から異なった性格の下に、表面|角突合《つのつきあ》いをしたという噂も聞かないが、内心いかように、嫉刃《ねたば》を磨《と》いでいたかを考えると、いまに帰ったら、ひとつあの女をとっつかまえて、あの女が、わが実の母を、どう解釈しているか、それに探りを入れてみようと思い定めました。
 その時分に、庭先へ、また例の御定連《ごじょうれん》の子供たちが、どやどやと入りこんだ物音を聞きました。

         三十二

 男の子と、女の子と、入り乱れてキャッキャッと遊ぶ子供の肉声を聞くと、神尾主膳の血が物狂わしくなりました。
 浅ましいことの限りに、主膳は、子供の声を聞いてその童心に触れることができません。いかに性悪な人も、おさな児の姿に天国の面影を見ない者はないはずですが、悲しい哉《かな》、神尾主膳にとっては子供の肉声が、自分の血の狂いを齎《もた》らすのは、特にあのこと以来のことであります。
 あのことというのは、先頃までよく遊びに来ていた、大柄な、少し低能な、そのくせ色情だけは成人なみに発達している、よしんベエのこと。吉原遊びをするから、お前おいらんになって、廻しをお取りといえば、直ぐにその真似《まね》をする女の子、隠れんぼをして主膳の書斎へずかずかと入って来て、主膳の膝を隠れ場所に選んだバカな女の子――このごろ姿が見えないから、仲間の子らにたずねてみると、「ああ、殿様、よしんベエはお女郎に売られたんだよ」に、二の句がつげないでいると、立てつづけに、「よしんベエはねえ、吉原へお女郎に売られたんだから、殿様、買いに行っておやりよ」とやられて息がとまりそうになるところを、畳みかけて、「あたいも、いまに稼《かせ》いでお金を貯めて、お女郎買いに行くの、よしんベエを買いに行ってやらあ」
 友達が売られたのを、お小遣《こづかい》をもらっておでんを食いに行くと同様に心得ている返答に、神尾主膳が胸の真中をどうづかれて、ひっくり返されてしまった。そのこと以来、特に主膳は子供の肉声に怖ろしき圧迫を感ずるようになったのです。で、この肉声を聞くと、三ツある目の真中のが、にちゃにちゃと汗ばんできて、心も、色も、物狂わしくなってきて、立ち上ったかと思うと、お絹の部屋へ走り込みました。
 そうして、あちらこちらと部屋中をかき廻して、その最後が戸棚を引きあけると、その中をがらがらひっかき廻し、そうして見つけ出したのが、多分、西洋酒の一リットル入りばかりの小壜《こびん》であります。それを見ると、主膳は栓《せん》をこじあけて、グッと飲みました。
 これは何という種類の酒だか主膳は知らないが、黄色い液体がまだ六分目ほど
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