どめることができませんでした。
いったい、これは何のおまじないに原因しているのだ――道祖神というと、こんなものを押立てたがる故事因縁がよくわからない。道祖神そのものは、猿田彦命《さるたひこのみこと》だということだが、猿田彦命ならば、それは神代史に儼存の人であるに相違ない。それがこの露骨な男根と何の関係があるのか、これは柳田国男氏にでも聞かなければよくわからないものだと、白雲が途方にくれました。
呆れ返った末に、とどめ難い苦笑いをもって、白雲は、図抜けた道祖神の表象のまわりをながめているうちに、その太く逞しいかり首のあたりに結びつけられた、一つの絵馬を認めないわけにはいきませんでした。本来ならば、このブラさがった絵馬そのものが、まず人の目につき易《やす》いのですが、石体そのものが、あんまり奇抜過ぎるものですから、絵馬は第二第三の印象になってしまいましたが、よく見ると、つい、たったいまかけて行ったかと見えるほど新しいもので、しかもその絵がまた奇抜であることを認めずにはおられません。
普通、絵馬に描く図柄はきまったようなものですが、この絵馬には、全く異様な般若《はんにゃ》の面《めん》が、ごく拙いものではあるが一つ大きく描いてありました。
「迷信はところがらで致し方がないとしても、社へ納める絵馬に般若を描くやつもなかろうではないか」
そう思って、白雲が見直すと、その署名に、
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「清澄村、茂太郎納」
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と筆太く記して、その頭へ小さく「仙台大手御門前」と割註《わりちゅう》がしてある。
「はてな――」
田山白雲は、全く別様な頭の働きを、この異様な額面の絵と文字との上に向けて、一思案なからざるを得ませんでした。
「はてな――全く、これは、はてなだ――清澄村茂太郎なる者がこの額を納めたとな。広い日本の村々のうちには、清澄というのも一つ以上あっていけないというはずはない、また茂太郎という名乗りも公儀へ御遠慮を致すべき差合いのある名前とも覚えていない。房州の清澄の、あのでたらめの歌うたいの茂公のほかに、天下に、もう一人も二人も清澄村の茂太郎なるものが存在してはならない筋合いもないのだが、それにしても、これは少し度外《どはず》れだ、名前そのものは度外れでないにしても、図柄そのものが、度外れだ」
白雲は、でたらめの歌うたいの茂太郎と、般若の面とが、くっついて離れないことをよく知っている。あいつは、母の腹の中から般若の面を持って生れて来たのではないかとさえ思っている。
その般若の面の、描くべからざる場面に描かれているのは、どうして、清澄村の茂太郎が尋常一様の清澄村茂太郎としては通過しないことを証明しているではないか。
それに――もう一つ合点《がてん》のゆかないのは、清澄村と名乗るからには村である。村である以上は、城下であるべきはずはないのに、その肩書を見給え、「仙台大手御門前」と明らかに註してある。
どちらから見ても、ちぐはぐだらけ、矛盾だらけだ――こいつを納めた奴の常識のほどが疑われる。いやいや、その常識のほどを疑うこっちの判断が、こんがらかる。
ちょっとこのままでは立去れないよ。そこで白雲は、手をさしのべて、そのまだ新しい、謎《なぞ》の絵馬をひっくり返して見ると、裏面に、
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「百姓、七兵衛納」
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とある。
「はてな――これはまた、はてな以上のはてなだわい」
白雲はついに、道祖神の御神体石の首から、その絵馬をもぎ取って、自分の鼻づらへ持って来てしまいました。
三
そこを立ち出でてから路傍の人をたずねて、事のいわれを問うてみるが、一向に要領を得ない。要領を得ないのではない、得させないのは、言語の不通がさせるのだ。
「おらあ、おくにやあ、くちいたてばっても、あんな折助言葉、うざにはくわなあ」
さても鴃舌《げきぜつ》の音、一時ムカとしてもみましたけれど、いやいや、ところかわれば品もかわるのだ、かえって、先方は、こっちの江戸弁――をさげすんで、嘲っているようでもある。今も子供が言った一語、「折助言葉――」だけが、耳ざわりに残っている。身不肖にして小藩に人となり、田舎まわりの乞食絵かきのようなザマはしているが、未《いま》だ曾《かつ》て折助風俗に落ちた覚えはないのに、陸奥《みちのく》の涯《はて》へ来て、しかも子供の口から、こういったあざけりをあてつけられようとは、あさましい。
白雲が舌を捲いて、名取川の岸まで来ると、そこで、一ぜん飯屋に身を投じました。前の川で取った川魚を炙《あぶ》って、そのまま食膳に供えて客を待つ。
白雲は、ここで亭主と女房とを相手に、わざと悠々と構えて、四方山《よもやま》の話をもちかけたのは、一つは、これから仙台郷へ入って、なるべく郷《ごう》に従わんとする用意としての、奥州語の会話の練習を兼ねんがためでありました。
ここで、気を練らして白雲が、夫婦を相手の会話の中から判断して、幾つかの仙台語のうちの単語を修得し、これを画帖の端へ、ちょいちょいと書きつけたものです。その一例を言えば、
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△いぎやる――これは、普通、おっしゃるということらしい
△はるなたをこく――これは偽《うそ》を言うということらしい
△にし――おぬしということだ
△ほいちょう――ほうちょうのことだ
△じいごばあご――じじ、ばばのこと
△われ様――おぬし様ということ
△よだっぽれ――馬鹿とか阿呆《あほう》とかいうこと
△ねいきをこく――腹を立てること
△なまだらくさい――じだらくなこと
△なじょたがな――何としたということ
△むぞい――可愛ゆいということ
△うちゃせた――忘れたということ
△やくと――わざとということ
△まくらう――食うこと
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川の肴《さかな》で一ぜん飯を食いながら、大体に於て、こういう奥州語を、聞くに従って判断しつつ、白雲は画帖のわきへ幾つも書き並べて、なおわからないところは、二三問いただしているうちに、さいぜんのあの一つの不快な、さげすまれの語源を知ることができました。
仙台及びその附近では、江戸弁を称して、すべて折助言葉というのである。仙台では、品格ある家庭に於ては、江戸弁を用うることを決してしない。鈍重にして威儀ある、純然たる仙台弁を用うることを貴しとしているが、もちろん、軽快なる江戸弁は、用いようとしても用いられないにきまっているが、その模倣の軽薄を避けることが土人の品格となっている。若い者などが、たまたま江戸弁などを使ってみせると、家中では、何だ折助みたような言葉づかいをする――といって卑《いやし》める。それは江戸へ出て折助奉公をしたり、商家の小僧なんぞに住込んだものが帰って来ると、往々江戸弁をつかうものだから、仙台の城下では、江戸弁そのものを軽薄なもの、下等なものとしてひんせき[#「ひんせき」に傍点]する――そこで、今も、白雲はなまじい関東弁をもって子供たちに問いかけて、かえって、折助言葉のさげすみを買った所以《ゆえん》がよくわかりました。
白雲は、そんなことに恐縮しながら、なお相当に問いただしているうちに、この店へ、岡っ引が二人、川から上って来ました。
白雲も、それがたしかに岡っ引の類《たぐい》でなければならないと見て取ったし、先方でも、ジロリと白雲の方に眼をくれながら、亭主夫婦の方へよって、心安立てに問いつ語りつ始めたのは、やはり純粋の奥州語を、双方とも達者にしゃべりまくるのですから、白雲の俄《にわか》ごしらえの語学では、とうてい追っつきそうなことになく、結局、何をどう受渡しているのだか、音声の上では全く要領を得ることができませんでした。それでも身ぶりや表情によって判断すると――何か事件が起って、職務の上から、非常線を張りに来たもののようでもあり、特にこの亭主夫婦に向って、川筋の警戒を申し渡し、頼み込んでいるらしい素振りであることは、判断がつきます。
で、二人の岡っ引は、こうして純粋の奥州語を亭主夫婦と達者に取りかわしていながらも、ジロリジロリと白雲に眼をくれることは以前と少しも変らないが、こっちが存外泰然自若なのに、相当|面負《かおま》けがしているようでもあります。
しかし、お茶を飲んでしまうと、どうしても、この風来の逞《たくま》しい旅絵師のえたい[#「えたい」に傍点]にさわってみないことには、役目の手前、立去れない羽目になったのは無理もないことです。
そこで、二人の岡っ引は、田山白雲の方へまむきに向って来て、今度は純粋の奥州語に多少の標準弁を交ぜて、つまり、
「貴君は、どなたですか」
こう詰問されたものですから、白雲が、
「拙者は、旅の絵師です」
と答えると、
「剣師――左様でござらば、剣道のお流儀は?」
と先方が反問して来たものです。うむ、では絵師といったのを、剣師或いは剣士と聞きそこねたのだな――いや、これは今にはじまったことではない、剣客と言えば通るが、絵師と言ったんでは通らないことになっているのが、生れついての人相だからいまさら致し方もない。しかし、まあ、どっちでもいいわ、道に剣客に逢う時はすなわち剣客になりすまし、道に絵かきに逢う時は絵かきになりすましている。ここでも、こちらは絵師だというのに、先方は剣士と受取ったのだからそれでもよろしいと、白雲が即座に答えました、
「左様、南北流を少々修行|仕《つかまつ》り、狩野、土佐、雲谷《うんこく》、円山《まるやま》、四条の諸派へも多少とも出入り致しました」
「ほほう」
これは八流兼学の大剣客とでも思ったのか、岡っ引二人は、少なからず度胆《どぎも》を抜かれたように、
「して、いずれからおいでになりました」
「江戸を立ち出でて、奥州街道を白河より福島を経て、これより仙台城下へまかり通ろうとする途中でござる」
「ほほう、して、仙台はどちらの先生の道場へお越しでござるかな」
「道場――それそれ、とりあえず仙台城下、高橋玉蕉先生の道場で一本お手合せを願い、それより松島へ罷《まか》り越して、観爛道場に推参して、狩野永徳《かのうえいとく》大先生に見参仕る目的でござる」
「ははあ、左様でござるか――昨今、仙台御城下には、少々物騒な儀がござるによって、随分御用心の上――」
二人は、多少とも、白雲の応対ぶりに呑まれたようにも見られるが、一つはその堂々たる体格と、わるびれない応答ぶりが、信用を買ったものと言わなければならぬ。事の進行によっては、一応剣客の面《めん》を脱いで、改めて絵師としての自分を証明しなければならない運命のほどを覚悟もしていたのですが、存外すらすらとパスして、岡っ引は立去ってしまったものですから、白雲も店へ払いと茶代とを置いて、ここを出ようとして、ちょっとひっかかりになったのは、道祖神からここまで持って来たあの絵馬です。
わざわざ持って来るほどのものではないが、捨てるのもなんだか心残りのようだから、ここまで持っては来たが、茂太郎ではあるまいし、これから先、どこまでも般若《はんにゃ》の絵馬と道行も変なもの。
そこで白雲は、このまま店へ置去りにしてここを出ました。
店を出ると名取川です。
四
田山白雲は、名取川の仮橋を渡りながら、今の岡っ引のことを思い返しました。
岡っ引の言うことには、仙台城下が今日は物騒がしいから用心しておいでなさいと。
それよりさき、純粋の奥州語をもって、飯屋の亭主夫婦と会話を試みていたところを拾い聞きにしての判断から言うと、その仙台城下の物騒というのは、やっぱり盗賊沙汰であるらしい。それも、市中商家を荒した盗賊ではなく、どうやら城内の然《しか》るべき部分をおかしたる某重罪犯人の捜索ででもあるらしい、ということを白雲が思い返しました。が、そんなことは深く心配せんでもいい。
いつしか名取川の沿岸の風物に頭《こうべ》をめぐらして、眼を放ちながら、幾瀬の板橋を渡りきろうとした時分、ついそこの柳の木の下で、蛇籠《じゃかご》を編
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