、わが父なる者は、やくざ旗本の標本であったに相違ないとして、母は、それとは全く異った賢婦人であったということは、世間の通評であり、自分もあえてそれを否定しようとはしないが、よくよく考え直してみると、その信念がぐらつく。わが母は果して、父と全く打って変った良妻賢婦であったろうか、父が箸《はし》にも棒にもかからない欠陥のすべてを、母が埋合わせて、持ち合せていたように信じてよいものだろうか。
 少なくとも、母がそれほどの賢婦人であったなら、この現在のおれというものを、こんなに仕立てないでも済んだのではないか。
 わが母の賢婦説は再吟味の必要がある。父のぐうたらは検討の余地なしとしても、わが母というものの世間相場は、改定される必要はないか。
 神尾は、今それをつくづく思い返している。
 世間の人はその当時、言った、神尾の家は奥方で持っているのだ、主人は論外だが、奥方がしっかりしているから、それで持っているのだ――これが世間の定評になっていたのに、当人の母は、また唯一のあととり息子たるまだ頑是《がんぜ》ないこの拙者の耳に、タコの出るほど言い聞かせていたのは、
「神尾の家は、お前が起すのですよ、お
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