この小僧が、七兵衛、七兵衛と無遠慮に言うのが気がかりになってならない。その度毎に、あたりを見廻したが、幸いにも誰も聞き咎《とが》める者はない、ありとすればあの桶屋のおやじだけだが、桶屋のおやじがどうなるものか。
「ねえ、先生、お松さまはどこにいるの」
「お松さんか、お松さんは宿屋に待っているだろう」
「宿屋ってどこ」
「つい、そこの海岸だ」
「先生は毎日ここで絵を描いてるの?」
「そうだ」
「で、お松さんだけが、七兵衛おやじを探しているの?」
「叱《しっ》!」
と田山白雲が、今度は茂太郎を叱り睨めました。七兵衛七兵衛と言うのが、いけないのです。
 叱られて茂太郎は、何でそれが咎められるのかわからない。
「このお寺ん中に隠れているんじゃないの?」
「これ――」
 白雲はついにたまりかねて、
「茂公――お前はここへ来ちゃいけない、拙者の仕事の邪魔になるから、宿へ行ってお松さんをたずねろ――ずっと海岸通りをつたって行くと、五大堂というのがあって、その前に新月楼という家がある、お松さんはそこにいるはずだから、先へたずねて行ってみろ」
「え、じゃ、行ってみましょう」
「茂坊、ちょっとお待ち」

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