「どちらにお取り下さってもよろしうございますが、盗人《ぬすっと》と致しましては、四十はもう停年でございますな」
「どうして」
「私が今日まで見ましたところが、盗人をする奴は二十五六止り、大抵その辺で年貢が上って、三尺高いところへ、この笠の台というやつがのっかるのが落ちでございますが、不思議とこの兵助は餓鬼の時分から手癖が悪いくせに、こうして御方便に四十の坂を越して、安穏《あんのん》に牢名主をつとめさせていただくというようなのは、全く例外なんでございます。ですから、観念いたしやした。世間では、兵助はロクでもない奴だが、親爺《おやじ》が仏師で、徳人であったその報いで、ああして無事に長生き――盗人としてはでございますよ――をしている、とこう言っているそうでございます。そこで兵助も観念しましてな、こうしておとなしくして、牢畳の上で虱をとって神妙に納まっているのでございますが、なあに、お奉行様がやれとおっしゃれば今晩にも、こんな窮屈なところは飛び出してお目にかかりません」
「ふむ――そんなことをやれとは言わない、しかし、お前に少しばかり相談があって来たのだ、早くいえば頼みたいことがあって来たのだ」
「これは、異《い》な仰せでございますな、お奉行様が盗人に頼みたいこととおっしゃるのは――これは、どうしても頼まれて上げなければなりますまい」
 こうして奉行が、囚人である兵助の耳に口を当てて、ささやく。つまり、耳こすりという段取りになりました。
 その結果が――兵助の呑込みとなって、
「ようがす。その話は、牢へ新参《しんめえ》の口から聞かねえ話でもござりません。なかなかしたたか[#「したたか」に傍点]者でございますぜ、わっしの眼の届く奥州五十四郡のうちには、まずそんなしたたか[#「したたか」に傍点]者はございませんから、つまりそれは、旅烏の、風来者の――といって、またたびで賽《さい》の目をちょろまかそうという三下奴《さんしたやっこ》の出来損いにやれる芸当じゃございません。盗人の方でも、かなり本場を踏んで、五十四郡をのんでかかろうって奴でなけりゃやれません。年の頃だってそうでございます、まあ、この兵助と、おっつかっつでございますね、かなり甲羅《こうら》は経ていますよ。ようがす、ようがす、一番当ってごらんに入れましょう。お願いには、この兵助を七日間の間牢からお出し下さいまし、七日目に必ずここへ帰ってまいります、帰るからには、何とか目鼻を明けてごらんに入れたいと思います、七日とお約束をいたしやしょう、お奉行様」
 兵助がこう言って、ニッタリと笑いました。
 それからこの兵助が、松島の観瀾亭のお庭へ姿を現わしたのは、その翌日のことであります。
 事の順に戻って、この兵助なるものの身柄を、一応説明しておく必要がありましょう。
 今の自らの物語にもある通り、この城下生れの者で、父は仏師です。兵助、生れて身軽で、力があって、いつ習うともなく武芸が優れてきて、それが仇となって、今日までに幾多の悪事を重ね、数百の子分を持っている――
 これが今、町奉行の内命を受けて、特に刑中の身を以て、観瀾亭から瑞巌寺《ずいがんじ》方面へ派遣されました。
 これが裏を返すと、すなわち、仙台の仏兵助《ほとけひょうすけ》と、青梅の裏宿七兵衛《うらじゅくしちべえ》との取組みとなるのです。

         十七

 お松はその翌日、新月楼という宿屋から、瑞巌寺の庫裡《くり》へ、田山白雲画伯のためのお弁当を運びました。
 白雲先生へという名題《なだい》で、実は、臥竜梅《がりゅうばい》のうつろの中が目的であること申すまでもありません。
 ところが、来て見ると、その臥竜梅の下が先客によって占領されていました。その老大木の前には、自分がたずねて来るずっと以前から、おそらく早朝からでありましょう、一人のずんぐりした小柄な桶屋さんが座を構えて、しきりに桶の箍《たが》をはめているところでしたから、お松は、これはいけないと思いました。
 意地の悪い桶屋さん――と、お松としてはそうとれたのもやむを得ませんが、ここで桶屋さんが仕事をはじめて悪いというわけはなし、よし悪いにしても、自分にそれを咎《とが》め立てすべき権能はないのですが、どうも悪いところに桶屋さんが頑張っていると、小憎らしく感ぜざるを得ませんでした。しかも、この桶屋さんは、悠然と、朝からこの大樹の下の日当りのよいところを仕事場に選定してかかっているらしいから、そう急に動き出しそうな様子もありません。
 のみならず、この悠然たる桶屋さんの、いま仕事にとりかかっているのは、天水桶のうちでも優れた大きさを持ったやつですから、これ一つの箍の懸換えをするにも優に一日はかかりそうだ。
 ところが、仕事はそれだけには止まらない。桶屋さんの周囲を見ると、
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