で持っている――その極《きわめ》はいよいよ本格的となって、今日までも動かせないでいるのだが、果して、それが無条件でそのまま受取れるか。
母は、もとより父のように品行上の欠点はなかった。品行上の欠陥がないということは、世間的には、すべての性格的の欠陥を帳消しするのと同じ理由で、品行上に些細《ささい》な欠陥でもあれば、他の性格的にどんな美点善処があろうとも、たいてい葬られてしまう。品行上では箸にも棒にもかからなかったわが父が、性格的には全く欠陥ばかりであったろうか。何かしら、認められないところに良処はなかったか。父は世間からは悪評判で葬られていたが、友人間ではむしろ敬愛される性格と趣味とを持っていたようだ。母はそれに引きかえて、第一、性格に潤いというものがなかったようだ――それから……
母が、世間に言われているような賢婦人だったら、父をあんなにはしていなかったのではないか。よし、父を救うことが絶望だとしても、自分をこんなにしてしまうまでのことはなかったのではないか。
自分は、今となって、母の再吟味に続いて、多くの遺憾《いかん》な点を見出す。それと共に、父の性格に、何か埋もれているところはないか、何かなつかしいものが隠れていたように思われてならない。
女が第一線に立つことは、よかれ悪《あ》しかれ不自然である。不自然が最善であり得るはずがない。古人が「女子ト小人ハ養ヒ難シ」と言ったのは、牝鶏《ひんけい》の晨《あした》することを固く戒めたのも、今となって、神尾主膳にはひしと思い当る、現にあのお絹だ――
見給え、あれがこのごろ調子づいていることを。七兵衛から金銀を捲上げて、この生活にゆとりを見せたのも、自分の手柄だとしている。
異人館へ出入りして、外人をひっかけて、何か物にしようというたくらみ[#「たくらみ」に傍点]をいっぱしの見得《みえ》のつもりでいる。
主膳は、そこまで考えると、あのお絹という女と、自分の母とがその当時、どういうおもわくの下に生きていたかを知りたい気持になりました。父の正妻であったわが実の母と、父のお手かけであった今のあのお絹とが、根本から異なった性格の下に、表面|角突合《つのつきあ》いをしたという噂も聞かないが、内心いかように、嫉刃《ねたば》を磨《と》いでいたかを考えると、いまに帰ったら、ひとつあの女をとっつかまえて、あの女が、わが実の母を、どう解釈しているか、それに探りを入れてみようと思い定めました。
その時分に、庭先へ、また例の御定連《ごじょうれん》の子供たちが、どやどやと入りこんだ物音を聞きました。
三十二
男の子と、女の子と、入り乱れてキャッキャッと遊ぶ子供の肉声を聞くと、神尾主膳の血が物狂わしくなりました。
浅ましいことの限りに、主膳は、子供の声を聞いてその童心に触れることができません。いかに性悪な人も、おさな児の姿に天国の面影を見ない者はないはずですが、悲しい哉《かな》、神尾主膳にとっては子供の肉声が、自分の血の狂いを齎《もた》らすのは、特にあのこと以来のことであります。
あのことというのは、先頃までよく遊びに来ていた、大柄な、少し低能な、そのくせ色情だけは成人なみに発達している、よしんベエのこと。吉原遊びをするから、お前おいらんになって、廻しをお取りといえば、直ぐにその真似《まね》をする女の子、隠れんぼをして主膳の書斎へずかずかと入って来て、主膳の膝を隠れ場所に選んだバカな女の子――このごろ姿が見えないから、仲間の子らにたずねてみると、「ああ、殿様、よしんベエはお女郎に売られたんだよ」に、二の句がつげないでいると、立てつづけに、「よしんベエはねえ、吉原へお女郎に売られたんだから、殿様、買いに行っておやりよ」とやられて息がとまりそうになるところを、畳みかけて、「あたいも、いまに稼《かせ》いでお金を貯めて、お女郎買いに行くの、よしんベエを買いに行ってやらあ」
友達が売られたのを、お小遣《こづかい》をもらっておでんを食いに行くと同様に心得ている返答に、神尾主膳が胸の真中をどうづかれて、ひっくり返されてしまった。そのこと以来、特に主膳は子供の肉声に怖ろしき圧迫を感ずるようになったのです。で、この肉声を聞くと、三ツある目の真中のが、にちゃにちゃと汗ばんできて、心も、色も、物狂わしくなってきて、立ち上ったかと思うと、お絹の部屋へ走り込みました。
そうして、あちらこちらと部屋中をかき廻して、その最後が戸棚を引きあけると、その中をがらがらひっかき廻し、そうして見つけ出したのが、多分、西洋酒の一リットル入りばかりの小壜《こびん》であります。それを見ると、主膳は栓《せん》をこじあけて、グッと飲みました。
これは何という種類の酒だか主膳は知らないが、黄色い液体がまだ六分目ほど
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