「どちらにお取り下さってもよろしうございますが、盗人《ぬすっと》と致しましては、四十はもう停年でございますな」
「どうして」
「私が今日まで見ましたところが、盗人をする奴は二十五六止り、大抵その辺で年貢が上って、三尺高いところへ、この笠の台というやつがのっかるのが落ちでございますが、不思議とこの兵助は餓鬼の時分から手癖が悪いくせに、こうして御方便に四十の坂を越して、安穏《あんのん》に牢名主をつとめさせていただくというようなのは、全く例外なんでございます。ですから、観念いたしやした。世間では、兵助はロクでもない奴だが、親爺《おやじ》が仏師で、徳人であったその報いで、ああして無事に長生き――盗人としてはでございますよ――をしている、とこう言っているそうでございます。そこで兵助も観念しましてな、こうしておとなしくして、牢畳の上で虱をとって神妙に納まっているのでございますが、なあに、お奉行様がやれとおっしゃれば今晩にも、こんな窮屈なところは飛び出してお目にかかりません」
「ふむ――そんなことをやれとは言わない、しかし、お前に少しばかり相談があって来たのだ、早くいえば頼みたいことがあって来たのだ」
「これは、異《い》な仰せでございますな、お奉行様が盗人に頼みたいこととおっしゃるのは――これは、どうしても頼まれて上げなければなりますまい」
こうして奉行が、囚人である兵助の耳に口を当てて、ささやく。つまり、耳こすりという段取りになりました。
その結果が――兵助の呑込みとなって、
「ようがす。その話は、牢へ新参《しんめえ》の口から聞かねえ話でもござりません。なかなかしたたか[#「したたか」に傍点]者でございますぜ、わっしの眼の届く奥州五十四郡のうちには、まずそんなしたたか[#「したたか」に傍点]者はございませんから、つまりそれは、旅烏の、風来者の――といって、またたびで賽《さい》の目をちょろまかそうという三下奴《さんしたやっこ》の出来損いにやれる芸当じゃございません。盗人の方でも、かなり本場を踏んで、五十四郡をのんでかかろうって奴でなけりゃやれません。年の頃だってそうでございます、まあ、この兵助と、おっつかっつでございますね、かなり甲羅《こうら》は経ていますよ。ようがす、ようがす、一番当ってごらんに入れましょう。お願いには、この兵助を七日間の間牢からお出し下さいまし、七日目に必
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