》でございます」
「うむ、そうか」
白雲がまたここで、そっくり[#「そっくり」に傍点]返らざるを得ません。
そうか、そんならそうと、なぜ早く言わないのだ。それにしても、いよいよ変な老爺だ、いったい、いつ、どうして、この間《ま》に、誰に案内されて入って来たのだ――というその咎《とが》め立ても、こうなっては気が利《き》かない。そこを先方が、いよいよいけ図々しく喋《しゃべ》りました、
「夜分、あんまり遅くなりましたものでございますから――いえ、その実は、こんなに遅く参ったのではございませんが、先生が、あの御婦人様と、あんまりお話に身が入っておいででございましたから、ついあの時に、御案内を申し上げる隙《すき》がございませんで、で、つい、こんなに遅く上りまして、あいすみませんことでございます」
「なに、では貴様、なにか、拙者がこの家の女主人と対話をしていた時分に来ていたのか」
「はい――あんまりお話が持てておいでなさいますから、お邪魔になってもなにと存じまして、いったん出直して、また上りました」
「ふーむ」
白雲は、そこにうずくまっている物のかたまりを、うんと睨《にら》みつけていました。遅くなって上りましたはいいとしても、夜更けたゆえ、案内を頼むことに気兼ねをして直接にやって来たのも、まあこの際ゆるすとして、いったいそのザマはそれは何だ、旅ごしらえのままで人の座敷へ侵入して来て、とぐろをまいたようにうずくまり込み、そうして、頭にまいた無作法な、下品な手拭かぶりを取ろうともしない挨拶ぶりは何だ。
白雲は、いまさらその辺を咎め立てするのもドジを重ねるような気がしていると、
「先生、実は、わたくしも忙しい体だものでございますから、このままで失礼をさせていただきますでございます――で、手っとり早く川原のお話の続きを申し上げますと、駒井の殿様は今明日のうちに石巻の港へお着きになる、それからあの殿様の御家来や、居候といった一味のものもみんな同じお船でおともをして参ります、田山先生だけが御不足でございましたが、それもこうしてお目にかかれる、もはや申し分はございません。そこで、この七兵衛――いや、この蛇籠作りの老爺も、追っつけあとから馳《は》せ参じさせていただくのでございますが、先生のお荷物、それからお書きになった品々などは、私が取りまとめて、船へおのせ申すものはおのせ申し、わたくし
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