この老爺の面を見ていると、老爺は存外、落着いたもので、
「田山先生、何はともあれ、申し上げなければならないことは、駒井の殿様は、あなた様の御出立中に、洲崎《すのさき》をお出ましになってしまいました。手ずからお作りになりました、あのお船で……」
「ナニ、駒井殿が、あの蒸気船で洲崎を立たれたと、どうして、そう早急《さっきゅう》に……」
「はい、土地の人気が悪くなりましたものでございますから、大急ぎで人数を取りまとめて、船おろしと船出を一緒になさいました、あなた様をお待受け申している間もございませんでした」
「うむ――」
「それで、わたくしが、あなた様のおあとを慕って、このことをお知らせ申し上げようと請合《うけあ》ったようなわけでございましたが、運よくここでお目にかかれて、こんな嬉しいことはございません」
「なんだか、遽《にわ》かに拙者のまわりで、廻り燈籠《どうろう》を廻して見せられているようで、とんと面食った気持だが、そう言われると、そうありそうなことじゃ。それで、駒井氏は洲崎を船出して、どちらへ行かれたか」
「はい、それが、その、このつい御近所の石巻の港を目あてに乗出しておいでになりました」
「ナニ、石巻――なるほど、駿河の清水港へ行こうか、仙台の石巻へ行こうかと駒井氏は常々言われていたが、して、なにかな、もはや石巻に到着しておられるのか」
「いや、それが、たしか今明日中には御無事にお船入りのはずなのでございます」
「それはそれは――で、なにかな、あの番所に居候の連中は、みんな同じ船に乗込んで来たのか」
「はい、一人残らず、茂太郎も、金椎《キンツイ》さんも、マドロス君も、もゆるさんも――それから、お松に、登様――土地の船頭さんたち」
「おお、それはそれは――それを知らないで、このまま房州へ舞い戻ろうものなら、飛んだあとの祭りを見せられるところであった、よくお前さん、知らせておくんなすった」
「お話し申し上げると長うございますが……」
 この時、遥かにみとおしのきく河原の両岸を見ると、こしかたの方からは、さいぜん飯屋へ出張したらしい岡っ引が先に立って、村役人らしいのを数名|引具《ひきぐ》して、こちらへ取って返して来る様子。それからまた一方には、槍を押立てた同勢が、長町の方から物々しげにやって来る。
 それを見ると、右の蛇籠《じゃかご》作りが、多少そわそわし出して、
「の
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