その時に、船室の一方から唄が流れ出して来ました。
[#ここから2字下げ]
ネン、ネン、ネン
ネン、ネン、ネンヨ
ネンネのお守はどこへいた
南条おさだへ魚《とと》買いに
チーカロンドン
パツカロンドン
ツアン
[#ここで字下げ終わり]
「茂だな、茂太郎歌い出したな、珍妙な子守唄を」
と甚三郎が思い出していると、キャッキャッと言ってよろこぶ男の子の声が続いてしました。これは申すまでもなく登。
 そうするとまた、茂太郎の声で、
[#ここから2字下げ]
ちょうち、ちょうち、ばア
ちょうち、ちょうち、ばア
うつむてんてん、ばア
かいぐり、かいぐり、ばア
ととのめ、ととのめ、ばア
[#ここで字下げ終わり]
 その度毎にキャッキャッとよろこび笑う登、登を笑わせていよいよはしゃぐ茂太郎。こんどはどうしたのか、登がワーッと泣き出す。
「そら、茂ちゃん、だからいけません、あんまりしつっこいから、とうとうお泣かせ申してしまいました」
と叱るのはばあやの声。
「いいよ、いいよ、お泣かせ申したって、また、あたいが笑わせてあげるから、いいじゃないか。さあ、登さん、ごらん、あたいが踊ってあげるから、ばア」
 それは茂太郎の声。登も御機嫌がなおったと見えて泣きやんでいると、茂太郎の声色《こわいろ》めかした気取った声で、
[#ここから2字下げ]
うんとことっちゃん
やっとこな
そうれつらつらおもんみれば……
[#ここで字下げ終わり]
 そこで、登といわず、ばあやといわず、一同がやんやと喝采《かっさい》したその声を聞くと、船頭もいれば、大工も交っているらしい。やんやとうけさせた御当人を想像すると、これはどうやら団十郎をやっているものらしい。目口をかわかし、台詞《せりふ》をめりはらせて、大気取りに気取ったところが目に見えるようです。駒井もそれを聞くと、ほほえまれずにはおられず、なんとなく陽気な気分になるのです。
 そこで駒井も、自分もひとつその船室へ入り込んで見ようという気にまでなったが、かえって一同を驚かせて、せっかくの興を殺《そ》いではいけない――と、その前を音立てず素通りをしてしまいました。

         二十九

 それから駒井甚三郎は、歩廊の間を歩いて、コック部屋のところへ来ると、ここで金椎《キンツイ》君を見舞ってやりたい気になりました。それは今の団欒《だんらん》の中に、金椎とお松だけ
前へ 次へ
全114ページ中97ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング