すが、実は、わしたちも心願がございまして、諸国を巡ってみてえとこう思って出て参りました身の上でございます」
「そりゃ、諸国を巡ることは悪いとは言わないが、どうだ、もう少し、普請が終るとか、終らないとかいうような時をきめる必要はない、いやになる時節まで、わしがところにいてもらえないかな」
「はい」
 与八は、伊太夫|直々《じきじき》のこの好意に対して、何と返事をしていいかわからない。人を使うことも、人を信ずることもかなり厳密なこの大家の主人が、直々に、初対面といってよい与八に対して、こんな言葉を下し置かれるというのは、かなり異例であるということを与八はよく呑込んではいないで、どういうわけかこの主人が、自分に対して特別、好意を持っていてくれるということはよく分るのです。与八の明答に苦しむのを見て取ったかのように、伊太夫が言葉をつけ加えました、
「わしの家も、今こそこの通り混雑しているが、これが済んでしまった日には、ひっそりしてしまうのだ、雇人もかなりいるにはいるがね、急に、家中がにぎやかになるというわけにはいかないのだ」
 与八は、なんだかこの言葉のうちに、痛々しいものがあるように思われてなりませんでした。
 ああ、そうそう、そう言えば、この間の火事で、ここの奥様と、あととりの坊ちゃまが、焼け死んでしまわれたそうな。それに、一粒種のお嬢様というのが、一筋縄ではいかない方で、今、遠くの方へ旅をしておいでなさるとか。してみると、ここの御主人が寂《さび》しいとおっしゃるお心持も、ほぼお察し申すことができるようだ。

         三

 それから間もないこと、藤原家の番頭から別に話があって、与八はこの家の別扱いの雇人となりました。
 臨時の人足として使われた男が、穀物庫の傍らの一室を給されて、この家の准家族のような待遇を与えられる身となりました。
 与八としては、強《し》いてこれを辞退もしなかったが、そうかといって、永くこの家の奉公人となりきるつもりはありませんでした。
 だが、こうなっていることは、自分はとにかく、郁太郎の教育のためによいことだと思わずにはおられません。
 ともかく、今までの相部屋《あいべや》と違い、自分としての一家一室が与えられることになると、与八は沢井を離れてから、はじめて居心地が落着いたのです。
 郁太郎、どうしたものかこの子の発育が、肉体、知能ともに世間並みの子供より鈍いことは、与八も知らないではありませんが、それでも、もう四歳《よっつ》になった以上は、単に育てるだけではいけないということに気がつきました。
 哺乳の世話だけは、もう卒業したようなものだから、それを教育の方に振向けなければならないと与八が感じて、夜なべに米を搗《つ》く傍ら、郁太郎を坐らせて、いろは[#「いろは」に傍点]を習わせることからはじめたのはこの時のことです。
 与八は焼筆をこしらえて、郁太郎のために板切れへ「いろは」を書かせることを教えながら、自分は地殻《ちがら》を踏んで米を搗いている。燈明皿の燈心は、教師である与八と、教え子である郁太郎との間を照して余りある光を与えておりました。
 今晩は雨が降り出している。与八と郁太郎の師弟が、例によってこの雨夜を教育に耽《ふけ》りはじめているところへ、フト外から訪れる客がありました。
「与八」
「はい」
 与八は直ちに、訪れて来た客人が、藤原家の当主の伊太夫であるということを知りました。
 伊太夫が蛇《じゃ》の目の傘を土間と戸の桟との間に立てかけ、合羽を脱ぎかけているのは、わざわざここを訪れるために雨具を用意して来たのか、或いは他を訪れたついでにここへ立寄ったのか。それにしてはともがついていないのみか、自身、包みをぶらさげて来ている。
「これははあ、旦那様」
 与八は恐縮して、地殻つきから下りて来ました。郁太郎は、この来客にちょっと目をくれただけで、しきりに板の上へ焼筆をのたくらせている。
「与八、どうだ、お前ひとつ、お茶をいれてくれないか」
 合羽を脱ぎ終った伊太夫は、自身携えて来た包みを取りおろして炉辺に置きながら、自分はもうその炉辺に坐りこんでしまいました。
「旦那様、まあ、お敷きなさいまし」
と言って、与八は有合せのゴザを取ってすすめます。
「今夜は雨も降るし、静かな晩だから、お前と一話ししようと思ってやって来たよ」
 してみると伊太夫は、他家《よそ》への帰りにここへ立寄ったものではなく、雨の夜を、わざわざ合羽傘《かっぱからかさ》で、ここへ話しに来ることを目的として来たものに相違ありません。
 何してもそれは与八として光栄でもあり、恐縮でもないはずはありません。
 米搗《こめつ》きはそのままにして、与八は自在の鉄瓶を下へ卸し、火を焚きつけにかかりました。
 伊太夫は、抱えて来た包みを解いて、また別の一つの箱を取り出しました。その箱には煎茶《せんちゃ》の道具が簡単に揃えてあるし、お茶菓子も相当に用意して来てあるようです。
 やがて湯が沸くと、主人伊太夫が手ずから茶を立てました。
 茶を立てたといったところで、なにも与八のためにお手前を見せに来たわけではないから、持参の茶器へ、普通に民家でする通りお茶ッ葉とお湯を入れて、飲みもし、飲ませもしようという寸法だけのものです。
「さあ、お茶をおあがり、お菓子を一つお抓《つま》み。その子供さんにもおあげ」
 ちょうど、この場合、主客が顛倒したように、伊太夫が二人をもてなすような席になりました。
「有難うございます、そりゃ、勿体《もってえ》ねえことでございます、郁坊や……ではこのお菓子を頂戴しな」
 郁太郎に菓子をすすめようとしたが、この子はそれを食べようとしないで、暫くじっとながめている。
 与八は与えられたお茶を推し戴いて飲み、伊太夫も旨《うま》そうにそれを味わいました。
 こうして二人の話に、しんみりと雨夜の会話が進むことの機会が熟して行く。
「与八、今夜は、心ゆくばかり、お前の身の上話が聞きたいのだ」

         四

 この晩、伊太夫が、与八と打解けての会話の結果は、与八には特に附け加えるものはなかったが、伊太夫にとっては、それは自分とは全く方法を別にし、主義を異にした新しい一つの生き方をいきている人のあるということを、つくづくと知ることができました。
 すなわち、自分というものは、有り余る財産というものに生きているのだが、世間には、それと反して、全く無所有の生活にいきて行く人と、またいき得るものだという実際上の知識でありました。
 無所有には怖るるところは無いという論理は、伊太夫にも相当よくのみ込めます。無所有なるが故に、求めらるるところがなく、また無所有を生命とすれば、求むるところなくして生きて行けるという事実は承認できます。
 だが、それだけのものです。それは一つの奇妙なる実例として、伊太夫にはながめられるだけで、自分がその生活に飛び込もうとか、そうすることが本当の生き方であったと、解悟したわけでもなんでもないのです。
 ですけれども、与八と話をすることが、伊太夫にとっては無上の興味でありました。自分にとって、命令すべき相手はあるが、相談をすべき相手というものは、伊太夫にとっては今日まで無かったのでした。心置きなく話そうとすれば、直ぐにその心置きないところに附け込もうとするもののみです。教えようとすれば、かえっていじけるもののみでした。
 全く打解けて憚《はばか》りなく話のできる相手というものを、この年になって伊太夫は、はじめて与八に於て発見し得たと言ってもよいでしょう。そこで、一日増しに与八というものが、伊太夫の生活に無くてならないものになりつつゆくのを、伊太夫自身も如何《いかん》ともし難いらしいが、与八に於ては、特にそういった意味で、伊太夫から選ばれているともなんとも思ってはいません。
 伊太夫はついに、この男を放すまいと決心してしまいました。
 永久にこのデカ物を藤原の家に置きたいものだ、だが、当人の志というものは本来そこにあるのではないことをよく知っている。これから西へ向いて行って諸国の霊場巡りをするのだという希望のほどをよく知っている。何という名目と、誘惑で、この男を引きとめようか。伊太夫はこのごろ、こんなことまで苦心するようになりました。
 与八の方では、そんな苦心や、好意だか慾望だか知らない伊太夫の心のうちには気がつきません――もうほどなく、この家をお暇乞いしようと心仕度をしています。
 そのうちの、ある晩、伊太夫が与八を訪れて、ハッキリとこういうことを発言しました、
「与八さん、変なことを言うようだが、お前と、それから郁太郎さんと二人、わしの家の養子になって、永久にここの家にいてくれまいか」
「え」
 与八も、これには多少驚かされましたが、伊太夫は真剣でした。
「お前さんの身の上も、郁太郎さんの生立ちもよくわかりました、そこで、わしはお前に頼みたいのだが、どうです、二人一緒にわしの家の養子になって、この家にとどまってはくれまいか」
「そりゃあ、どうも……」
と、さすがの与八も、即答のできないのは当然です。
 伊太夫は、いよいよ真剣でつづけました、
「わしの家には、あととりがない、親類もあるにはあるが……これに譲ろうというのは一人もない。与八さん、お前は、お前としての心願もあることだろうが、どうだろう、お前さんにその心がなければ、この郁坊を、わしに養子としてくれるわけにはいくまいか?」
「そりゃ、どうも……」
 与八は、やっぱり目をパチパチしている。
「さあ、それが、おたがいの幸福になるか、不幸になるかわからないけれど、これでも、わしは、この頃中、考えに考えぬいてこのことを言いに来たのだ、わしはお前のほかに頼もしい人を知らない、お前を後見として、この郁太郎さんという子に藤原家をそっくり嗣《つ》いでもらいたいものだ――わしが、これを言い出すからには、相当に深い決心をしている」

         五

 宇治山田の米友は、尾州清洲の山吹御殿の前の泉水堀の前へ車を据《す》えて、その堀の中でしきりに洗濯を試みているのであります。
 その洗濯というのは余の物ではない、彼は、今、泉水堀の前に引据えた檻車《おりぐるま》の中から一頭の熊を引き出して、それの五体をしきりに洗ってやっているのであります。
 この熊の来歴たるや事新しく説明するまでもない。とにかく、米友はこの熊を洗ってやることに、会心と、念力とを打込んでいる。
「もっと、おとなしくしてろ、そんなに動くもんじゃねえや」
 米友が親切を尽すほどに、子熊がそれを受けていないことは相変らずで、食事から、尻の世話までも米友にさせて、今はこうして気の短い米友に、甘んじて三助の役目をさせながら、性《しょう》も感もないこの動物は、これを感謝せざるのみか、洗われることを嫌がって、米友の手を離れたがるのであります。
「ちぇッ――手前《てめえ》という奴は、てんからムクとは育ちが違っていやがらあ」
 米友は思わずこの世話焼かせ者の、恩知らずの動物に、浩歎《こうたん》の叫びを発しました。
 事実、米友がこの子熊を愛するのは、熊そのものを愛するのではない、熊によって彼は自分の無二の愛友であったムク犬のことをしのべばこそ、どんな艱難辛苦《かんなんしんく》を加えようとも、この動物と行程を共にしようとの気持になったのであります。
 しかるに、形こそムク犬を髣髴《ほうふつ》するものがあれ、その心術に至っては、雪と墨と言おうか、月と泥と言おうか、ほとほと呆《あき》れ返るばかりであるのです。
 全く同じ四肢《よつあし》動物ではありながら、ムク犬と、この子熊とは育ちが違う、育ちだけではない、氏《うじ》が違うと言って、先天的に平民平等観の軌道を歩ませられている米友さえが、氏と育ちとの実際教育をしみじみと味わわせられ、子熊の度すべからざるを知るごとに、ムクの雄大なるを回想せずにはおられない。といって、米友は、ムクの雄大なるを回想することによって、この熊の不検束に呆れ歎きこそすれ、まだこれに愛想をつ
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