りから得ている経済学ではなく、わが藤原家の祖先伝来の財産というものから割出している経済学なのですから、この私有財産あってこその経済学で、その私有財産を基礎としないことには、経済も、倫理も、道徳も、学問も、芸術も、総てが消失してしまうのです。そこで彼は藤原家の財産を損ぜぬ程度に於て、またいつか利息を含めて戻って来るという計算の上に於て、慈善のようなこともやり、贅沢《ぜいたく》のような金づかいもやりました。
自分の威勢といったところで、兵力を持っているわけではなく、官位を持っているわけでもない、家は古いには古いが、摂家清華というわけではない、人がつくもつかざるも、要するにこの財産の威力のさせる業なのだ。
伊太夫はそれがよくわかっているだけに、人を使うにも、人の慾を見ることに抜け目がないのです。少なく与えれば怨《うら》む、多く与えれば驕《おご》る、一時、威圧で抑えて、労銀以上の働きをさせても、能率や実際から見ると、それはいけない、安ければ安いようにどこかに仕事が抜いてある、やっぱり人を使うには少なく与えていかず、多く与え過ぎていかず、その辺が経済の上手と下手との分るるところだ――そういう
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