を主張したことのないのを、伊太夫がようやく認めました。
同時に、このデカ物は、自分の子とも、他人の子ともつかない、一人の子供を親切に養っていることを認めずにはおられません。それはこの工事のうちに、乳呑児を背負ってエンヤラヤアの地搗《じつき》に来ているような女労働者も相当にないではないが、男の身で子供を連れて来ているのは、このデカ物に限っていることを認めずにはおられません。経済学を無視する行為を認める以前に、このデカ物と、そうして瘤附《こぶつき》との異常な形体が、伊太夫の眼をそばだてしめたものでしょう。
それ以来、そのつもりで見ていると、見ているほど光り出して来るのが、このデカ物の働きぶりです――この男は経済学を無視している、分配の法則から飛び離れている。他の何事よりも経済学を無視しているということが、伊太夫にとっては不思議であり、驚異であり、無謀であることを感じずにはおられないらしい。何となれば、伊太夫の頭は、ほとんど全部が経済学から出立しているのです。
自分の家のすべての者が、自分に対して反《そむ》き去っているということ、その反き去ってしまった結果として、惨憺《さんたん》たる家
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