て、また別の一つの箱を取り出しました。その箱には煎茶《せんちゃ》の道具が簡単に揃えてあるし、お茶菓子も相当に用意して来てあるようです。
 やがて湯が沸くと、主人伊太夫が手ずから茶を立てました。
 茶を立てたといったところで、なにも与八のためにお手前を見せに来たわけではないから、持参の茶器へ、普通に民家でする通りお茶ッ葉とお湯を入れて、飲みもし、飲ませもしようという寸法だけのものです。
「さあ、お茶をおあがり、お菓子を一つお抓《つま》み。その子供さんにもおあげ」
 ちょうど、この場合、主客が顛倒したように、伊太夫が二人をもてなすような席になりました。
「有難うございます、そりゃ、勿体《もってえ》ねえことでございます、郁坊や……ではこのお菓子を頂戴しな」
 郁太郎に菓子をすすめようとしたが、この子はそれを食べようとしないで、暫くじっとながめている。
 与八は与えられたお茶を推し戴いて飲み、伊太夫も旨《うま》そうにそれを味わいました。
 こうして二人の話に、しんみりと雨夜の会話が進むことの機会が熟して行く。
「与八、今夜は、心ゆくばかり、お前の身の上話が聞きたいのだ」

         四
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