無くてならぬ嗜好物になる資格があるのではないか――人によって言を捨てずということもあるから、たとえ金公の出鱈目でも聞いて置くことだ、なんぞと考えながら、
「よかったら、みんな飲んで下さい」
 コップにまた泡を吹かせて、忠作が酌をしてやりました。
 金公は妙な手つきをして、それをおしいただき、満足して、それから徐《おもむ》ろにへらず口と用件とを並べる。

         三十一

「忠さん、例の一件が、その名儀借用てなことで、埒《らち》が明きそうでげす」
「ははあ」
「ははあは張合いがござんせん、金公がここまで漕《こ》ぎつけた苦心労力のほどを、ちっとお察し下さい」
と言って金公が自讃するところは何かと言えば、今まで素人《しろうと》の娘が異人の妾《めかけ》になることは罷《まか》り成らぬということになっていたのを、今度、たとえ素人の娘であるにしてからが、しかるべき商売人の抱えということにして名儀を借りさえすれば、西洋人の妾になることも差支えない、という御制度に改まったから喜んでいただきやしょうということです。そして、そのここにまで至らしむることは、金公らの内々の運動というものが隠然として多きをなしているという吹聴でした。
 忠作はそのことを、金公が自讃するほどに身を入れても聞かず、そうかといって、全く閑却するでもなしに聞いていると、金公は得意になって、ベラベラと喋《しゃべ》り出しました。
 これでまあ、我々も運動甲斐があって、自分の働きばえというわけだが、このことたる、単に我々の利益ばかりじゃない、日本の国のためにも、どれだけため[#「ため」に傍点]になるか知れない、これで素人が、大っぴらで洋妾《ラシャメン》になれるということになると、何といっても異人は日本人より気前がいいから、たった一晩にしてからが、洋銀三枚がとこは出す、月極めということになれば十両はお安いところ、玉によっては二十両ぐらいはサラサラと出す。
 そこで、仮りに日本の娘が一万人だけ洋妾になったと積ってごろうじろ、月二十両ずつ稼いで、一年二百四十両の一万人として、年二百四十万両というものが、日本の国に転がり込む……
「これがお前さん、元手いらずでげすから大したもんでげさあ、仮りに吉原がはやるの、新町がどうのと言ったところで、相手はみんな国内の貧乏人でげすからなあ、大きく日本の国に積ってごろうじろ、共喰いの蛸配《たこはい》みたようなもんでげす、それをお前さん、元手いらずで毛唐から絞り取ろうというんでげすから、国のためになりまさあね、そうしてお前さん、元手いらずで現ナマを絞っておいてからに、なお毛唐人の精分を残らずこっちへ吸い上げてしまえば、結局、いながらにして向うの国を亡ぼし、攘夷の実が挙るというもんでげす、どうして日本人が、もっと早くここんとこへ目をつけなかったかと、金公、不思議に堪えられねえ儀でござんす」
 計算好きな忠作も、この計算には面負けがしたらしく、苦笑いのほかにしょうことなしでいると、金公いよいよいい気になって、
「今時、お前さん、尊王攘夷のなんのといって、日本の国の愛国者はおれたちが一手専売てな面をして浪人共が東奔西走、天晴れの志士気取りでいるけれど、お前さん、攘夷という攘夷で、今まで儲《もう》かった攘夷がありますかい。早い話が、生麦《なまむぎ》の事件でござんさあ、薩摩っぽう[#「ぽう」に傍点]が勇気|凜々《りんりん》として、毛唐二三人を一刀に斬って捨てたのはまあ豪勢なもんだとして、ところでその尻拭いは誰がします、罰金四十四万両――拙者共は身ぶるいがするほどの金でござんさあ、この罰金四十四万両というものを、薩摩っぽうが毛唐を二三人斬った罰金として、公方様《くぼうさま》から毛唐の方へ納めなけりゃならねえ、運上所から夜夜中《よるよなか》、こっそりと大八車へ銀貨を山ほど積んで幾台というもの、ミニストルへ引きこんで、只納めをして来た有様なんて、見ない人は知らないが、見た人は涙をこぼしてますぜ。それに限ったことじゃありません、長州でも、土佐でも、みんなそれなんでげす。およそ攘夷という攘夷で、儲かった攘夷は一つない上に、莫大な罰金を毛唐に取られ、公方様へ御心配をかける。そんならば何が儲かるかということになるてえと、正直、今の日本の国なんぞでは、万端むこうから買うものばっかりで、こちらから売って金にしようなんて代物《しろもの》は滅多にはありゃしません――ところで、洋妾ときた日にゃ資本《もとで》いらずで、双方両為めの、いま言った通り年分《ねんぶ》……」
「もうわかりましたよ、金さん」
 さすがの忠作も、金助の洋妾立国論は受けきれないらしい。金公もまた減らず口はそのくらいにしておいて、洋妾の口二つ三つの周旋方を忠作を通して、ここへ出入りの西洋人に頼みこむことを依頼しておい
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