。いま関ヶ原軍記を繙いているのは、明日は指呼歴々の間《かん》に、軍記の示す配列を実地に眺めようとの下心に相違ない。
 だが、お銀様の関ヶ原に興味を持つのは一日の故ではない――お銀様は関ヶ原合戦の歴史に於て、どうしたものか、西軍に同情を持っている。石田、小西に勝たせたいという贔屓《ひいき》が、物の本を読むごとにこみ上げて来るのを如何とも致し難い。それだけに家康を嫌います。或いは家康を虫が好かない故にこそ――西軍に贔屓が出るのかも知れない。けれども、あの時に於て、お銀様の贔屓とか、興味とかいうものが、石田、小西に集中しているわけではない、その人は別にあるのです。
 およそ関ヶ原軍記のうちに、お銀様をして、この人こそと、無上の共鳴と、同情と、贔屓を与えている人がたった一人あるのです。常の時でさえ、お銀様はその人のことを想い出でると、涙を流して泣くだけの同情と、贔屓とを持っている。それは誰人ぞ、大谷刑部少輔吉隆《おおたにぎょうぶしょうゆうよしたか》その人。歴史上の人物で、お銀様がこのくらい自分を打込む人は、唯一とは言わないまでも、稀れなる例であります。
 まして、この時、この場へ来て、夜更けて人静まった時分です。冴《さ》えきった眼の前に、朦朧《もうろう》としてその人が現われて来るのは是非もないことです。

         十八

 お銀様は、今ここで次のような大芝居を見ている。
 宏大なる一室に紙帳を釣らせて、その中に敷皮を敷いて、白絹の陣羽織に白金物《しらがなもの》打った鎧《よろい》を着て、坐っているのが大谷刑部少輔吉隆である。
 紙帳がよく透き通っているから、芝居の土間の二三あたりで見るよりも、はっきりとお銀様は、刑部少輔の科白《せりふ》から表情の一切を見て取ることができる。
 かく身体はいかめしく鎧《よろ》っているのに、頭は法体で、面目が崩れている。お銀様としても、それを、崩れているとよりほかは見ようがありませんでした。眼だけは爛々《らんらん》として輝くものがあるのに、鼻梁は落ち、顔面はただれ、その上に蛆《うじ》が湧いている。
 誰人も、この名将の面影に、その無惨なる天刑(?)の存することをまともに見るには忍びないはずであります。然《しか》るにお銀様は、じっと瞳をこらして、それをまともに見ているのであります。こうして大谷刑部少輔は紙帳の中に、ひとり端然と控えているこ
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