」に傍点]というのは、人間の無断横領で、常にはやらないが、稀れには行われる雲助の政策の一つであるが、危険のようで、実は危険性の更に無いものであるということを、甚目寺の音公が委細語って聞かせました。
 それをなおくわしく言えば、雲助が客を送り迎えのために、かなりの遠距離を、空駕籠を飛ばして行かねばならぬ使命を帯びたとする、空駕籠というやつは実のあるのよりも担ぎにくいことを常例とする、肩ざわりから言っても、足並の整調の上から言っても、駕籠の中には、どうしても人間相当の重味のあるものが充実していなければ、遠路を走るイキが合わないという結果になる。
 こういう場合に、雲助は、人を頼んでロハで乗ってもらうか、そうでなければ無警告にこのぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]を強行することがある。
 つまり、走りながら、空駕籠の充填物《じゅうてんぶつ》にはまりそうなおとりを物色し、それを見つけたことになると、否応いわさずひっとらえて只駕籠の中へねじ込み、目的地までは有無を言わさずに担ぎ込み、まつり込むのである。目的地に着きさえすれば、忽ちつまみ出され御用済みしだい解放されるのだから、生命にも、財産にも、べつだん差障りはないのだし、何十里走らせようとも別にまた駕籠賃だの、酒料《さかて》だのを要求される心配は更に無いとはいえ、ぶったくられ[#「ぶったくられ」に傍点]た当人と、その身寄りの者の迷惑といったらたとうるに物がないのです。
 しかしながら雲助といえども、その辺には相当の常識と、社会性とを働かせている、ぶったくり[#「ぶったくり」に傍点]とは言いながら、その人選は無茶に行われるわけではなく、ぶったくる[#「ぶったくる」に傍点]にしても、なるべく迷惑のかかる範囲の狭いと見られるものを選んでぶったくる[#「ぶったくる」に傍点]ことになっている。
 そこで、無論、優良なる階級の旅人や、善良なる土地の住民をぶったくる[#「ぶったくる」に傍点]ようなことはなく、大抵は薄馬鹿だの、きちがいだの、酔っぱらいだの、或いは仲間のうちから自選した奴だの――というのを選定して、ぶったくる[#「ぶったくる」に傍点]。
 今日の道庵先生こそは、まさしく雲助の選定を蒙《こうむ》ってぶったくられ[#「ぶったくられ」に傍点]の運命に逢着したものと見れば、かわいそうでもあり、気の毒でもあり、いい面の皮でもあるが、
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