これも自身我を忘れているのでありました。
道庵先生の真骨頂は、平民に同情することと共に、英雄に憧るるところにある。さればにや、日頃は十八文を標榜して、天子呼び来《きた》れども、船に上らず、なんてたわごとを言っているに拘らず、日本の英雄の総本山たる尾張の地に来て見れば、英雄の去りにし跡のあまりに荒涼たるに涙を流し、なけなしの旅費をはたいて英雄祭の施主となって、ために官辺の誤解を蒙ることをさえ辞さぬ勇気があるのであります。
さほどの義心侠血に燃ゆるわが道庵先生が、名古屋よりはいっそう懐古的であり、ある意味に於ては、天才信長の真の発祥地であるところのこの尾州清洲の地に来て、城春だか秋だか知らないが、葉の青黄いろくなっているのを見て、涙おさえ難くなるのも無理はありません。
くどいようだが、銀杏《ぎんなん》城外の中村では、英雄豊太閤の臍《ほぞ》の緒《お》のために万斛《ばんこく》の熱涙を捧げた先生が、今その豊太閤の生みの親であり、日本の武将、政治家の中の最も天才であり、同時に最大革命家であるところの織田信長の昔を懐うて、泣かないはずはありません。
そこで、道庵先生は今し(米友及び熊の子と程遠からぬ地点)清洲の古城址の内外を、やたらむやみに歩いております。歩きながらブツブツとしきりに独言《ひとりごと》を言っているのであります。
見ようによっては、それはまさしく狂人の沙汰です。ついに、土地の甲乙丙丁はいつしか集まり集まって道庵先生の挙動に眼をとめつつ指差し合って、しきりに私語《ささや》くのを見る、
「どうもあの旅の人は少し変だ――あんな原っぱの中を独言を言いながら、さいぜんから行きつ戻りつして、時々はっはと言ってみたり、石を叩いたり、木を撫でたり、おめき叫んだりしている――様子が変だ、キ印ではねえか」
物事は、当人が凝《こ》れば凝るほど、信ずれば信ずるほど、凡俗が見て以て狂となし、愚となすのは争われ難いもので、この場合の道庵先生としては、平常より一層の真面目と熱心とを以て、懐古と考証とに耽《ふけ》っているので、世上の紛々たる毀誉《きよ》の如きは、あえて最初から慈姑《くわい》の頭の上には置いていないのです。
すなわち先生がブツブツとひとり言を言っているのは、織田信長勃興の地であり、信長が光秀に殺されてから前田玄以法師が三法師を抱いてこれに居り、信雄が秀吉と戦ったのもこの
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