いというよりは、蔭ばかりで日向が無い、日向ばかりで蔭が無い、というような仕事ぶりになっているからでありましょう。
 彼は山で石材を運び、土を掘り、木の根を起すにしてからが、なるべく離れたところを選び、離れたところの人の面倒がるところに好んで食いつき、いつのまにかそれを綺麗《きれい》に整理して置いて、他の人が処分するに最も都合のよいようにして置いて、人が来る時分には、もう自分は次なる根仕事《こんしごと》にひとりコツコツいそしむという仕事ぶりを取っているから、当座の人は、与八の仕事の忠実なることは感得するけれども、忠実なる仕事の成績ぶりにはあまり注意を払わしめられないように出来ています。ただ一度、悪女塚を崩した時だけは、非凡な怪力を二三の者に示したけれど、それは当然見ていた二三の者に限り、それらの者も与八の怪力よりはむしろこの塚を築いた暴女王の後日の怒りのほどを怖れて、口をつぐんでしまったほどだから、与八の力量のことも、その辺で立消えになって伝わってはいないようになりました。
 ただ、いつも眼につくことは、与八の背に負《おぶ》ったり、手を曳《ひ》いたり、傍に立たせたり、休ませたりして置く一人の子供のことで、これをよく面倒を見ることの方が、いたく人の心を刺戟しました。見ると与八彼自身の子供とは思われないのです。そうかといって、他人《ひと》の子供をあれほどまでに大事にするのも変なものだとは思われる。これには何ぞ仔細がありそうだという気はするが、それを聞咎《ききとが》めたり、調べ上げたりなんぞしようとする者は一人もなく、ただ、そういう光景を、そういう気持を以て眺めやるばかりのことでありました。
 こんなような働きぶりで、与八は幾日かを、藤原家の改築の工事のために働いておりましたのです。

         二

 ところが、この与八の経済学を無視した働きぶりを認めずにはおられないものが、ここに一人現われました。
 それは誰あろう、藤原家の当主の伊太夫以外の何人でもありません。
 伊太夫は、絶えずとは言わないが、思い出したように工事の見廻りをする。その見廻りの都度に、経済学を無視した一人のデカ物があることを、どうしても認めずにはおられませんでした。
 それとなく注意して見ていると、最も多く働いて、最も少なく得ることに甘んじて、そうして分配の時は姿を没し、曾《かつ》て不平と不満と
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