て、
「何しても、若い頭のいいところにゃかないません、こんな話は、金公|直取引《じきとりひき》とおいでなされば、たんまりと口銭《コンミツ》にありつけるんでげすが、なんにしてもペロがいけませんからな。忠さんなんぞは、若くて、頭がよくっていらっしゃるから、ホンのここへ来て僅かの間、ペロの方でも、もう誰が来ても引けはとらねえ、応対万事差支えなしとおいでなさる――当世は、若くて頭のいいところにはかなわねえ、何しろこれからはペロの世の中でげすからな」
忠作に向ってこんな追従《ついしょう》を言いました。
忠作をつかまえて、若くて頭がいいと持ち上げるのは、必ずしも過当とは思われないけれど、ペロがいけるとか、いけないとか言うのは、会話が出来るとか、出来ないとかいう意味で、忠作としては、金公が推薦するほど会話が出来るわけではないが、敏慧なこの少年は、ここへ来て僅かの間に、もう朝夕の挨拶や、簡単な用向などは、用の足りるほどに外国語を聞きかじり、覚え込んでいる程度です。それが金公あたりの眼から見れば、確かに非凡過ぎるほどの非凡の頭に見え、もうこの少年に頼めば、立派に通弁の役に立ち、異人との交渉は一切差支えなくなっていると見えるほどに、買いかぶってしまっているらしい。
結局、金公の用向は、洋妾立国論を一席弁じた上に、洋妾両三名を西洋人に売り込むことの周旋方を、忠作に頼み込みに来たのだという要領だけで、ビールの壜《びん》を傾けつくし、ほろよい機嫌でこの室を出て行ってしまいました。
三十二
誰も、金公の話なんぞを取り上げて、あげつらうものはないが、それでも忠作は、忠作として考えさせられるところのものがありました。軍艦であり、鉄砲であり、羅紗《らしゃ》であり、器械類であり、外国から買うべきものは無数にあるのに、外国へ売るべき物はなんにも無い――洋妾にもとで要らずで稼がせるほかに良策はないという言い分は、いかに金公のたわごと[#「たわごと」に傍点]にしても、あんまり悲惨極まるたわごと[#「たわごと」に傍点]ではないか。
忠作はもとより、憂国者でも志士でもないにはきまっているが、甲州人の持つ天性の負けず嫌いが、金助のたわごとに対して、知らず識《し》らず愛国的義憤のようなものを起させてしまいました。
事実、日本の国に、外国へ正当な商売をして、そうして我を富ますところの
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