って屈《かが》んで、隠れてしまいました。
 しかもこれは女の子です。その女の子を見ると、主膳は直ちに、これは少し低能な奴だなと知りました。
 いつも遊びに来る定連《じょうれん》の中の一人には相違ないが、年はなにしろ子供だろうが、肉体はいちばん発達している、顔に少し抜けたところはあるけれども、色は白いし、がかい[#「がかい」に傍点]が大きいから十四五[#「十四五」は底本では「一四五」]には見えるけれど、本当はそれより下か上かさえわからないが、がかい[#「がかい」に傍点]に比べて幾分の低能であって、ここへ来るもっと小さい年下の子供のいいようにされている奴だ――ということを、主膳が直ちに知って苦りきりました。それ、この間吉原遊びというのをさせられて、こいつがおいらんに仕立てられ、お前、廻しを取るんだよと言われて、その言いつけ通りにやってのけた奴だ。
「おい、お前、こんなところへ来てはいけないのだ」
と、主膳が呆《あき》れ返ってダメを押すと、この女の子は、妙な上目使いで叱る主膳の面《かお》を見ながら、片手を振って見せました。つまり、その仕草《しぐさ》で見ると、いま隠れん坊をはじめて、わたしはここへ来て隠れたのですから、そんなことを言わないで、少しの間、隠して置いて頂戴な――という頼みであること言うまでもない。
 ほかの子供なら、いくらわからずやでも、いくぶん心得があって、こっちへ来てはならないことを知っている。知らなくても、主人の居間を隠れんぼのグラウンドにするなんていうことの見境はあるのだが、そこに頓着のないところにこの低能さ加減がある。
 主膳はそれを知って呆れ返ってしまったから、ツマミ出すわけにもゆかず、沈黙していると、いい気になって低能娘は、主膳の膝と机との間を潜伏天地と心得て、息をこらして突臥《つっぷ》してしまったのです。
 全く呆れて、その為すままに任せているよりほかはないが、主膳は自分の傍らにうずくまった低能娘の、身体《からだ》の発育の存外なことを感ぜずにはおられません。自分の膝に接触する温か味から見ても、こいつはもう成人した娘だわい、頭こそ少々低能ではあるが、肉体は出来過ぎるほど出来ている、厄介な奴だと思いました。
 そう思って見ると、上の方から三つの眼で爛々《らんらん》と見つめるところの肥った首筋に、髪の毛がほつれている、その首の色がまた乳色をして、ばかに白い。袖附のところから見ると、腋の下の肉附がやっぱり肥え太って白く、肉の発達を示している。
 厄介千万な低能め――と呆《あき》れ返っていた主膳の眼が、その白い太った肉附の一部を見せられると、俄《にわ》かにその三つの眼が、あわただしく瞬《まばた》きをしました。書道を楽しんでいた時の眼の色ではない、無邪気だと苦り切った迷惑千万の色でもないのです――よく現われたところの貪婪《どんらん》なる染汚《せんお》の色が、三つの眼いっぱいに漲《みなぎ》って来たのです。そうして、年に増して全体に成人しきっている小娘の肉体の張り切った曲線を、衣服の上から透して見るのみならず、その張り切った肉体が呼吸でむくむくと動き、その中の一片、襟足だの、腋の下だのが外れて、惜気もなく投げ出されてあるのを、食い入るように見つめてしまいました。
「あら、いやだ」
 その時、低能娘が、ちょっと首をあげて主膳の面を仰ぎ、ながし目に見て睨《にら》むような眼つきをしました。
 主膳は、今、ほとんど自分のしたことを忘れたように無言でしたが、実はその指先でこの低能娘の腋の下を、ちょっと突いてみたのです。それは本能的でありました。いたずらをするつもりでも、からかってやるつもりでもなく、主膳としては、そのハミ出した肉の一片が、硬いか、やわらかいかを試みてみなければ、この食指が承知しないような慾求に駆られたものですから、全く本能的に、指先がそこへ触れたか、触れないか、自分でさえもわからなかった時に、低能娘がその点は存外鋭敏で、「あら、いやだ」と言われて、はじめて主膳としても、何だ大人げない、という気になったのですが、自分を見上げてながし目に睨んだ低能娘の眼を見て驚きました。何といういやな色っぽい目をしやがる、馬鹿のくせに!
 主膳は、こいつ憎い奴だと思い、よし、その儀ならば、もう少しこっぴどく退治してやろうと怒った時に、
「あっ!」
 今度は主膳が全く圧倒されてしまったので、仕置を仕直してやろうと思っている当の小娘から先手を打たれてしまったのは、返す返すも意外な事でした。
「あっ!」と言ったのは低能娘ではなく、三ツ目入道の神尾主膳で、その時、主膳は屈んでいた低能娘のために、自分の太腿《ふともも》を、いやというほど下から抓《つね》り上げられてしまったのです。
 といったところで、女の子のする力だから、主膳ほどの者が悲鳴を揚げるほどのことはないはずだが、実は動顛《どうてん》させられてしまったので……こいつは怖いということを知らない、知らないのではない、本来、怖いもの以上に出来ている奴だ、世に馬鹿ほど怖いものはないとはよく言った。それにしてもこの馬鹿に、誰がこういう手筋を教えたのだ。
 主膳がこの時に舌を捲いたと共に、この無意識な挑戦に対しては、その教育上の躾《しつけ》の上から目に物見せてやらなければならないと、覚悟を決め、右の手を延ばして、当るところを幸いに折檻《せっかん》を加えてやろうとした途端に、
「よしんべえがいねえよ」
「よっちゃんが迷子になってしまったわ」
「神隠しに会ったのかも知れないわ」
「隠れんぼして、ばかされると、神隠しにされたっきり出てこないんですとさ」
「よしんべえは少しお馬鹿だから、天狗様にさらわれたかも知れない」
「よしんべえ」
「よっちゃんよう」
「早く出ておいでよう」
「もう代りよ、たんこよ」
「早く出ておいで」
「のがしておしまいよう」
「来ないとおいてけぼりにして、みんなで帰ってしまうよ」
 こんな声が庭の方で、子供の口々に叫ばれるのが、よくここまで聞える。それは、主膳の傍らに隠れがを求めている低能娘ひとりを当てに叫ばるる声に相違ないけれども、さすがに、この奥まで入り込んでいるとは、子供たちも考えていないと見えて、その持場の許された場面だけに物色《ぶっしょく》の叫びをあげているらしい。その声々ははっきりここまで聞えるけれども、この低能娘はおどり出して、「あいよ」ともなんとも存在を示さないし、なおさらそれが聞えているはずの神尾主膳が、早く追い立ても、追い出しもしてやらない。
 子供たちは、呼び疲れ、探しあぐんで、やがて忘れたもののように静かになってしまったのは、そのへんで諦《あきら》めて、こんどは河岸《かし》をかえて遊ぶべく、この屋敷をみんな出て行ってしまったものに相違ありません。

         十九

 それから後、この低能娘も、よく遊びに来ることはあっても、主膳の居間へ闖入《ちんにゅう》するようなことはありませんでしたが、それでも仲間と遊んでいるところへ、主膳が通りかかると、ぽーッと面《かお》を赤くして妙に色っぽい目をして見せる、と、主膳はそれをひっさらうようにして自分の居間へ連れ込んでしまうこともあれば、いなくなったと思っていたその娘が、主膳の居間から、そっと廊下伝いに出て来たところを見たというようなわけで、子供たちが納まらなくなりました。
 子供たちとはいうけれども、これは、育ちがいいといった者のみではないから、気を廻すことにかけては、へたな大人よりませたものがいくらもいる。
「おかしいなあ、殿様とよしんべえとおかしいよ」
という評判が立ってしまったのは是非もないことで、「まあ、いやなよっちゃん、殿様のおかみさんになるの?」といったようないやみはまだ罪がない分として、なかには、思い切った露骨な、卑猥《ひわい》な文句を浴せかけたり、楽書をしたりする者が出来てきたが、当人の低能娘はいっこう平気なもので、なぶられることを誇りともしないが、苦痛ともしない。いわばしゃあしゃあとしたもので、でも、主膳が出て行くと、子供たちは怖がって、表立って悪口は言わないが、眼を見合わせて三ツ眼|錐《ぎり》の殿様と低能娘とを見比べたりなんぞする。
 しかし、それもその当座だけのことで、主膳が低能娘を始終引きつけているというわけではなし、低能娘もまた殿様だけにじゃれ[#「じゃれ」に傍点]ついているというわけでもなし、やっぱり以前のように子供たち共有のおもちゃになって、おいらんになれと言えばおいらんになり、夜鷹《よたか》の真似《まね》をしなさいと言えば教えられた通りにして逆らわないものだから、殿様との相合傘もいつしか消えてしまっている。主膳にしても、いかに好奇とはいえ、まさかあんな馬鹿娘に、しつこく手出しをしているとは思われない――
 しかし、この二三日、どうもあの馬鹿娘の姿が見えないようだ。子供たちの家に来ることは以前と変らないから、主膳がそれとなく行って見ても、どの組にも低能娘がいない。こうなってみると、主膳がなんだか手のうちのものを取られたような淋しさを感じないでもない。
 低能ではあるけれども、あの色っぽい眼つきがどうも忘れられない。低能とはいうけれども、菽麦《しゅくばく》を弁じないというわけではなく、お感じが鈍いというにとどまり、まだ知恵が出きらないのかも知れない、もう少し発達すれば人並みになるのだろう、まるっきり馬鹿扱いにはできないのだ。或る点に於ては馬鹿どころではない、主膳に舌を捲かせるほどの離れ業を見せているのだが、それは天性、その部分が発達し過ぎているというわけではなく、そういう家庭や周囲の中で育ったから、色っぽい眼をつかったり、人の太腿を抓《つね》ったりすることは、あたりまえの挨拶と心得ているに過ぎない、下町の棟割《むねわり》の社会などには、こんなことはざらにある、すなわち、親爺や兄貴などから、そんな挨拶の仕様を仕込まれていることさえ多いのだ。
 あいつは必ずしも低能じゃないだろう、そうしているうちに、普通の女として発達するのだろう。発達する、俗に色気が出るという時分になれば、かえってあんなことはしなくなるものだ。
 だが、この二三日、姿を見せないのは、なんとなく淋しいな、ほんとうに物足りない。お絹という奴にも、ずいぶん淋しい思いをさせられたが、このごろは慣れっこになってしまったのか、今日このごろは、あの低能の来ないことが、いっそう自分の心を空虚にしている、心というものは変なものだ、神尾はこういったような不満を感じて、
「よし坊は、どうしたのだ、今日は来ないのか」
 こう言って子供たちに鎌をかけてみると、
「ああ、殿様、よしんベエはお女郎に売られたんだよ」
「えッ」
 神尾がここでもまた、子供たちに度胆《どぎも》を抜かれたという始末です。
「よしんベエはねえ、吉原へお女郎に売られたんだから、殿様、買いに行っておやりよ」
 神尾が第二発の爆弾を子供からぶっつけられて、ヘトヘトになりました。それでも足りない子供たちは、
「あたいも、いまに稼《かせ》いで、お金を貯めて、お女郎買いに行くの、よしんベエを買いに行ってやらあ」
 彼等は、自分の家の製造物が問屋へ仕切られたような気持で、友達の売られたことを語り、お小遣《こづかい》を貰っておでんを食いに行くと同じ気持で、その遊び友達であった異性を買いに行くことを約束している。
 さすがの神尾も、子供たちから続けざまの巨弾を三発まで浴せられて、のけ反《ぞ》っているのを見向きもしない子供たちは、
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おんどら、どら、どら
どら猫さん、きじ猫さん
お前とわたしと駈落《かけおち》しよ
吉原|田圃《たんぼ》の真中で
小間物店でも出しましょか
一い、二う、三い、四う
五つ、六う、七、八あ
九の、十
唐《とう》から渡った唐《から》の芋
お芋は一升いくらだね
三十二文でござります
もうちとまかろか
ちゃからかぽん
おまえのことなら
負けてやろ
笊《ざる》をお出し
升《ます》をお出し
庖丁《ほうちょう》、俎板《まないた》出しかけて
頭を切
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