ないか。
わたしにはそれがあるのよ――憚《はばか》りながらここに至って、お銀様はまた冷笑を以て答えようとしました。
淡きことは水の如く、薄きことは煙の如き存在に比べて、熱いことは湯のように、重いことは鉛のように、濃いことは血のように、旺《さか》んなることは潮《うしお》のように、今もこうしてわたしの身肉に食い入って、わたしをこんなに浮動させている悩ましいこの存在を、お前は知らないの?
あの人の身は冷たいけれども、骨は赤い焼け爛《ただ》れた鉄のようです。あの熱鉄が、ひたひたとこの肌に触れ、この身内がその時に焼かれる、あの濫悩、この黒髪がどろどろの湯になって溶ける悩楽を知るまい。幸内が好きだったのは、どうにでもこちらの自由になるから好きだったのだ。あの人のはそうではない。あの人はわたしをなぶり殺しにするつもりで、わたしを弄《もてあそ》ぶから、それで好きなのだ。だから、わたしもその気になって、あの人の骨身を湯のように溶き崩してやるつもりであの人と取組んだ。弁信さん――お前なんぞが知ったことじゃないよ。
どこへ行こうとわたしの勝手じゃないか。わたしの方でもまた、弁信、お前なんぞが出ようと
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