のである。そこに日本人が神を慕う特殊の心情と行動とがある。伊勢参りの憧れは、すべての日本人にとって明るい。
 けれどもお銀様は、その日本人の普通の人が持つような、軽快な気性を以て育てられてはいませんでした。今し、その憧れの伊勢の国をながめている、というよりは睨《にら》んでいるのですが、それは今にはじまったことではありません。お銀様は、いつでも物を見るということはなく、物を睨めることのほかには為し得ない人ですから、当然その眼が伊勢の国へ向いている時は、その心が伊勢の国を怒っている時でなければなりません。だが、お銀様として、何を伊勢の国に向って怒らねばならぬものがありますか。
 数日前、宇治山田の米友という代物《しろもの》が、ここと同じところにいて、出て行く船と伊勢の国をながめて衷心《ちゅうしん》から憤っていたはずですが、それには充分に憤るべき理由があり、また憤りに同情すべき充分の事情がありました。いまだ伊勢の国の土を踏んだことのないお銀様には、そういう理由も、事情も、一切無いはずです。ただ、こうして海を眺めていたいのでしょう。山国に育って、山にのみ護られていたお銀様にとっては、このたびの
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