お方であるかないか、そのことは存じませんが、もし真如と無明との御解釈を御了解になりたいならば、それは馬鳴菩薩《めみょうぼさつ》の大乗起信論をお聴きなさるに越したことはなかろうと存じますのでございます……」

         五十一

「大乗起信論と申しますのは……」
 ここまで来ると、弁信法師の広長舌が無制限、無頓着に繰出されることを覚悟しなければなりません。
 鐙小屋の神主も、池田良斎も、お喋《しゃべ》り坊主のお喋り坊主たる所以《ゆえん》を知っても知らなくても、この際弁信のために、饒舌《じょうぜつ》の時とところとを与えて控えるのは、やむを得ないことでもあり、また二人としても、この奇怪なるお喋り坊主から聞くだけ聞いてみないことにはと観念もしたらしく、鐙小屋の神主は相変らず夷様《えびすさま》の再来のように輝き渡っているし、池田良斎は一隅に割拠したまま沈黙して、湯の中で身体《からだ》をこすっています。
 さてまた、一方の湯槽《ゆぶね》の隅に短身と裸背を立てかけた弁信は、果して滑らかな舌が連続的に鳴り出して来ました、
「御承知の通り、馬鳴菩薩のお作でございまして、釈尊滅後六百年の後小乗が漸
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