しまいました。
その時にまた外の庭で、俄《にわ》かに荒らかな下駄の音がして、濁声《だみごえ》が高く起ります。
「これさ、悪くとっては困るよ、そうやみくもに逃げ出さんでもいい、じっとしておれば為めにならぬようにはせぬものを、そうして一途《いちず》に走り出しては、人前もあるぞ、こちの面をつぶすなよ」
その濁声は、充分の酒気を帯びているこの邸の主人、すなわち新お代官の胡見沢《くるみざわ》であることは申すまでもない。
そこで、兵馬にもいちいち合点《がてん》がゆく。あんまり珍しいことではない、先刻もお蘭が言っていた、どこぞで女狩りをして来たその獲物だ、本来、爪にかけた上は退引《のっぴき》はさせないことになっているのが、今晩は少し手違いで、相手に甚だしい拒絶を食って逃げられたのだ、それをまた新お代官が、酔っぱらった足で、大人気なくも追いかけて来たのだ。兵馬は、それが忽《たちま》ち分ってみると、苦々しさがこみ上げて来たが、飛び込んで来た娘は一生懸命で、その戸口をしっかりと内から抑えたままです。つまり、この女の子は、咄嗟《とっさ》の間にはここの枢《くるる》のかげんも知らないものだから、必死にここ
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