が、その時自分の入って来た一方口が俄《にわ》かにけたたましくなったのは、思いがけない人がやって来たのではなく、さきほど行き過ぎた矮鶏《ちゃぼ》めが、何と思ってか引返して、この入口から縁の上へと侵入して来たものでありました。
「叱《しっ》! 叱!」
 政吉は軽くそれを追い払って、ともかくもお雪ちゃんが、着物を着替えて出て行った形跡だけは明らかであるし、室の内も荒涼とは言いながら、何一つ盗まれているらしい様子はないことから、少し待っている限り、必ず戻って来るに相違ないものと鑑定しました。
 それまで待っていてみましょう――という気になって、あけ放された裏の方の一枚を、もう二三枚繰って明るくし、あんまり出過ぎない程度で、室内を取片づけておくことも、心安立ての好意として斥《しりぞ》けられはしないことだと考え、何かと取片づけているうちに、どうしてもひとつ、炬燵《こたつ》の中へ火をおこして上げることが急務だと考えたのでしょう。
 炬燵に火をおこした政どんは、このへんで少しいい気持になったものと見え、いつもお雪ちゃんがするようにして、炬燵を前にみこしを据えてしまうと、半ば折りめぐらされた金屏風の緑青
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