うちがわき立ってきました。
 その時に、外で、
「こんにちは……」
 おとなしやかにおとなう人の声。
「どなた」
 お雪ちゃんはまだ蒲団《ふとん》を離れないで返事をします。
「鶴寿堂でございます、貸本屋でございます」
「貸本屋さん――」
 お雪は立ち上りました。
 立って障子をあけた時分には、貸本屋の番頭、一目見たところで、それはイヤなおばさんの男妾《おとこめかけ》として知られた浅吉さんの生れかわりではないか――誰も驚かされるほどよく似た若い番頭風の男、萌黄色《もえぎいろ》の箱風呂敷を手に提げて、もう縁を上って、座敷へ廻ってしまいました。ぜひなくお雪ちゃんは、
「こっちへおいでなさいまし」
「はい、御免下さいまし」
「雪になりましたね」
「はい、たいしたことはございますまい」
「鶴寿堂さん、この間の義士伝はたいそう面白うございました」
「お気に召しまして有難う存じます、今日はまた新しいのを持って参りましたから、御贔屓《ごひいき》をお願いいたしとうございます」
と言って、もう番頭は包みを解きかける。お雪ちゃんは炬燵のところへ戻って、その間には金屏風がさし出ているから、番頭はその外に、竜之
前へ 次へ
全433ページ中176ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング