の後でありました。
 この源氏香の間というのが、偶然にも――実は偶然でもなんでもなく、竜之助が引籠《ひきこも》っていたその部屋で、お雪ちゃんもその次の座敷にいて、絶えず往来していたのです。そこが手つかず、あのままで人を泊めるにいいようになっていたから、少し遠いにも拘らず、皆の者が弁信にこの部屋をあてがったものです。
 あてがわれた弁信は、一議に及ばずその好意を受けてしまったが、遠くて不自由だろうと思いやりながら、ここへ弁信を導いて来た人が、かえって、弁信の物怖《ものお》じをしないのに舌を捲いたようなあんばいです。のみならず、普通の人よりもいっそう都合のよいことは、遠い廊下道や梯子段を、手燭《てしょく》も提灯《ちょうちん》もなくして平気で歩いて行けるから、座敷さえ教え込んでしまえば、抛《ほう》り出して置いて手数のかからないこと無類です。
 さきほど、たった一人で、長い廊下を伝って二重の段梯子を上り、間違いなく、この源氏香の間に辿《たど》り着いた弁信。
 夜具の前にちょこんと落着いて、そうしてお祈りをしました。
 それは、お祈りというべきものか、念仏というべきものか、或いは、かりそめに無念
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