えない魔というものはあるものではない。一寸なりとも刃物を持つな、一指たりとも力を現わすなよ、われと我が胸へ合わするこの合掌が、十方世界縦横|無礙《むげ》、天下太平海陸安穏の護符だよ」
与八はそれを、なるほどと信じました。
それから和尚は、更に老婆心を尽して言うことには、
「これから先、どこへ行こうとも、縁あるところがすなわちお前の道場じゃ。わしは指図をするわけではないが、お前、気があったら、これから有野村の藤原というお屋敷へ行ってみろ。そこでは先日、家が焼けて、再建の普請の最中だから、お前のその力で働いてやれば、本当の建直しができようというものだ、行ってみる気があるなら行ってみろ」
こう言われて、与八はそれこそ、また時に取っての縁――ともあれ、その有野村の藤原家というのへ踏出しの縁を置いてみようという気になって、ここを出立しました。
その道中――といっても五里から十里までの道、同じ甲斐《かい》の国中の有野村のことですけれど、与八としては、ここまでは知己をたよるということもあったけれど、これから先は何も無い――本当の見知らぬ旅の気持になりました。
二十五
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