ているのもある。
与八は浅からぬ興味をもって、その長短錯落した楽書を、次から次へと読んで行きましたが、ここは相当に教養のある人も通ると見え、与八の学問では読み抜き難い文字も多いけれども、あとを辿《たど》って見ると、
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「われら二人、やみ難き悩みより峠を越えて江戸へ落ち行きます、江戸で一生懸命働いて、皆様に御恩返しをするつもりでございます。
月日
[#地から2字上げ]あやめ
[#地から1字上げ]大吉」
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と書いたのは戯れとは思われない。この文面で見ると、女の筆で現わされている。してみれば、若い夫婦か、恋人同士が、家庭の折合いつかず、やみ難き悩みのうちに相携えて江戸へ走るために、国を去るの恨みをとどめた心持がわかると共に、この若女房と思われる人の才気のほども思われないではない。
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菩薩未成道時 以菩提為煩悩
菩薩既成道時 以煩悩為菩提
[#ここで字下げ終わり]
と達筆で認《したた》めたのは与八の学問には余る。
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蓮の花少し曲るも浮世|哉《かな》
[#ここで字下げ終わり]
と、古句か近句か知らな
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