込みを如何《いかん》ともすることができないらしい。
ばかにしてやがら!
いったい、ここをどこだと心得てるんだよ、瘠《や》せても枯れても尾州徳川の城下なんだぜ――
おいらも、この隣りの伊勢の国に生れたから、尾州城下の威勢なんぞは子供のうちから聞いて知ってらあ――
第一、ここには柳生様がいらあ――
尾州の柳生様は、江戸の本家の柳生様より術の方では上で、本家の柳生様にねえところの秘法が、この尾州の柳生様に伝わっているということだ、だから剣法にかけちゃあ日本一と言ったところで、まあ文句はつかねえわけだが、その柳生様がおいでなさる尾張名古屋のお城の下で、どこの馬の骨だかわからねえ安直野郎が日本総本家たあ、どうしたもんだ。
それからお前、宮本武蔵がここへ来て、柳生兵庫と相並んで円明流をひろめているんだぜ――
それからまたお前、知ってるだろう、弓にかけちゃ、この名古屋が竹林派の本場で、天下第一だろうじゃねえか。知らなけりゃ、言って聞かせてやろうか。
三家三勇士の講釈でも聞いてるだろう、星野勘左衛門が京都の三十三間堂で、寛文の二年に一万二十五本の総矢数《そうやかず》のうち、六千六百六十
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