けておいでなすっちゃあ」
「いけない、いけない、そんな坊主の垢附《あかつき》なんぞが着られるものか」
「これもいけませんか――じゃあ、全く着るものが無い」
「無くたっていいじゃないか、誰がお前に着物を着せてくれと頼んだ」
「そりゃ、頼まれずとも、人様の裸になっているのを見るに見兼ねるのがピグミーの気性でしてね、やっぱり一走り行って来ますよ、それに越したことはござんせんから」
「どこへ行くの」
「飛騨の高山まで行って、お雪ちゃんの取ったあの小紋を取返して来て上げます」
と言ったが早いか、クルリと身を翻したピグミーは、天井の節穴へ向って飛びついたかと見ると、忽《たちま》ち吸い込まれたように姿が消えてしまいました。
あとに残されたイヤなおばさん――というけれども、先程からさんざんピグミーを相手に話をしているものの、釣台の上へ裸で仰向けになったところの身体《からだ》をビクとも動かさず、眼をつぶったままで、一度も開いたことはないのですが、ピグミーが行ってしまった後でも、やはり同様の姿勢でその上にいる、いるというよりは、安置されたといった方がよいでしょう。
弁信の安眠を続けていることも、最初と少しも変りがありませんが、この時、うつつの境にもの[#「もの」に傍点]悲しい泣き声を耳にしました。
それは、若い詩人などがよく言う、魂のうめき[#「うめき」に傍点]とか、すすり[#「すすり」に傍点]泣きとでもいったものか、世にも悲しい、細い、それで魂の中から哀訴※[#「りっしんべん+瑾のつくり」、320−3]泣《あいそきんきゅう》して来るような声であります。
おかしいことには、それがよそから来るのでなく、釣台の上に横臥安置せしめられているイヤなおばさんの身体から起るのであります。たとえ裸にされたからといって、イヤなおばさんともあるべきものが、若い詩人のするような唸《うな》り声で魂をうめらかすなんぞは、外聞にもよくないと思われるが、それにも拘らず、魂のうめきを、このイヤなおばさんの肉体がしきりに発散させているのです。といっても、イヤなおばさんの身体そのものは、それがために少しも輾転反側するわけではなく、以前と同様の安静と、無表情と、微動だもしない死そのものの中から起って来るのですから、特にこのおばさんが苦しがって、魂のうめきを立てているわけではないのです。
してみれば、おばさんの寝かされている下の釣台の中か、或いはその下の畳のあたりで、この魂のうめきが起るとしか思われないのです。この魂のうめきとても、事実、弁信の耳に入ったか入らないかそれさえ疑問で、弁信の安眠に落ちていることも以前と少しも変らないのに、よし、たった今この魂のうめきを聞いたからとて、その起る源を確めようとして起き直って来る形勢は少しもないからであります。
また、かりに弁信が、それを聞きとがめたとしてみれば、起き上って、その源を確めに来る前に、あのお喋《しゃべ》りのことだから口からさきに起き出して、「たれですか、そこに魂のうめきを立てていらっしゃるのは。ピグミーさんは、イヤなおばさんという名前をしきりに呼びかけたようですけれど、わたくしはまだそのイヤなおばさんなるものにおつき合いを願ったことは更にございませんが、たとえ、おつき合いこそ致しませんでも……」なんかんと、語り出すに相違ないのだが、そんなお喋りも聞えないところを以て見れば、弁信はこの魂のうめきに目を覚ましていないことは明らかです。
弁信がそれを聞いているといないとに拘らず、魂のうめきはいよいよ盛んであって、それはどうしてもイヤなおばさんの身体か、その真下から起らねばならないことになりました。
おや! ごらんなさい、じっと安置されていたおばさんの身体が少し動きましたぜ、慄《ふる》え出しましたぜ、さすがに裸じゃ寒いでしょう。おやおや慄えているんじゃありません、動き出したのですよ。オヤ、おばさんの身体中の毛の穴が、ゾックリとふくらんできましたよ。おやおや毛の穴が動き出したと思ったら嘘でした、虫です、虫です、虫になりました。まあいやな、幾千万とない真白な女子蛆《おなごうじ》! おばさんの身体が、そっくりと真白な女子蛆になってしまいましたよ――まあ、あとからあとからあの通り、蛆がうずうずとして頭を出しています。あの蛆が我さきに頭を出そうとして泣いているのですよ、魂のうめきじゃありませんでした、蛆のひしめき合いです、ぞっくりとおばさんの、あれ、面《かお》も、首も、腹も、手も、足も――ぞっくりと首を出した目鼻のない蛆、頭をうごめかして先を争って這《は》い出そうとしても這い出せない、蛆の頭だけがああして、ぞっくり苦しがっている――あのうめきをお聞きなさい、魂のうめきなんてしゃれ[#「しゃれ」に傍点]たものじゃありません、女子蛆のう
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