お相手になれません」
「意地の悪いことをおっしゃる弁信さん。実はねえ、あなたのために、お淋《さび》しかろうと思ってお伽《とぎ》に出たのなんのというのは、お為ごかしなんでして、本当のところは、こっちが淋しくてたまらないんですよ、お察し下さい。この白骨の温泉の冬籠《ふゆごも》りで、誰がわたしの相手になってくれます、炉辺閑話の席などへ寄りつこうものなら、忽《たちま》ちあの人たちにとっつかまって火の中へくべられっちまいます。お雪ちゃんという子をとっつかまえて相手にしようと思いましたけれども、あの子はあんまり正直過ぎて歯ごたえがありませんね、ところがどうです、いい相手が見つかりましたぜ、ついこの間までお雪ちゃんが侍《かしず》いて来たあの盲目《めくら》の剣客、ことに先方も、たあいないお雪ちゃんのほかには骨っぽい話相手というものが更に無いという場合なんでしょう、こいつ願ったり叶ったり、究竟《くっきょう》の話敵御参《はなしがたきござん》なれと、こそこそと近づきを試みてみましたが、なんだか物凄くてうっかり近寄れません。そこであの天井の節板の上や、この畳のめどや、屏風の背後や、例のほくち箱の中なんぞに潜んで、隙を見てはこの話敵を取って押えようとしましたが、なかなかいけません、今日は御機嫌がいいようだと思って来て見ると、不意にあの短笛です、例の『鈴慕』ですね。あいつを聞かせられると、ピグミーはこの頭がハネ切れてしまいそうです。そこでその夜もびっくり敗亡、すごすごと引返すこと幾夜《いくよさ》。そのうちに、或る晩のこと、珍しくこの行燈《あんどん》へ火を入れましてね、ここで刀の磨きをかけていましたよ。その時ばかに御機嫌がよくって、この行燈の火影《ほかげ》で見える横顔なんぞが、美しいほど凄く見えたものですから、大将今晩こそは本当の御機嫌だなと、そっとそれ、あの衣桁の背後から怖る怖る這《は》い出して、まず刀の目ききからおべんちゃらを並べてみましたところが図に当りましたね。人間、好きには落ちるものですよ。五郎入道正宗じゃありませんか、違いますか、では松倉郷、それもいけませんかなんぞと言っているうちに、とにかくいい刀でしたからつい増長して、その棟の上へのぼってえっさえっさ[#「えっさえっさ」に傍点]をして見せますと、それがいけなかったんですね、一振り軽く振られたんですが、何しろ手が冴《さ》えていますからたまりません、ホンの軽い一振りで、わっしの身体は胴から二つになってあの壁へやもり[#「やもり」に傍点]のようにへばりついてしまったというみじめな次第――いやどうも危ないものです。そこでこんどは河岸《かし》をかえてお浜さんへ取りつきましたね。いい女でしたね、姦通《まおとこ》をするくらいの女ですから、美しい女ではあるが、どこかきついところがありましたね。それもとどのつまりは『騒々しいねえ』といってお浜さんの手に持った物差でなぐられちまいました。どっちへ廻ってもこのピグミー、いたく器量を下げちまい、その後今晩まで閉門を食ったようなもので、この天井の蜘蛛《くも》の巣の中に、よろしく時節を相待っていたのは、弁信さん、あなたを待っていたようなものですよ。弁信さんならば、二尺二寸五分相州伝、片切刃大切先《かたぎりはおおきっさき》というような業物《わざもの》を閃《ひらめ》かす気づかいはありません。柳眉《りゅうび》をキリキリと釣り上げて、『騒々しいねえ』と嬌瞋《きょうしん》をいただくわけのものでもなし、人間は至極柔和に出来ていらっしゃるに、無類のお話好きとおいでなさる。こうくればピグミーにとっても食物に不足はございません、さあ相手になりましょう、夜っぴてそのお喋《しゃべ》り比べというところを一つ願おうじゃございませんか。それにしても火が無くちゃ景気が悪いです、先のお客様や、弁信さんなんぞは、塙保己《はなわほき》ちゃんの流儀で、目あきは不自由だなんぞと洒落飛《しゃれと》ばしなさるにしても、ピグミーの身になってみますと、これでも物の光というやつが恋しいんですからね、ひとつ火を入れましょう。この多年冷遇され、閑却された行燈に向って、一陽来復の火の色を恵むのも仁ではございませんか――どれ、ひとつ、永らく失業のほくち箱に就職の機会を与えて、カチ、カチ、カチ、カチ」
 それは燧《ひうち》をきった音であるか、ピグミーの軽薄な口拍子であるか知れないが、とにかく行燈に火が入りました。
「さあ、弁信さん、今晩は寝かしませんよ、人の期待に反《そむ》いておいて、自分だけが平和の安眠と、極楽の甘睡とを貪《むさぼ》ろうとしても、それは許されません」
 ピグミーは、小さい胡坐《あぐら》を一つ組んで、両手でもってその向う脛《ずね》と足首のところを抱え込んで、ならず者が居催促に来たような恰好をして、寝入りばなの弁信
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