この時はじめてお銀様は、弁信というものの存在が、自分の生涯の上に不思議の存在であるということを感じたようです。なぜならば、今日まで自分の眼に触れ、耳に聞いているところの人間という人間は、二つの種類しかなかったのです。それは、愛する者と、憎む者の二つしか、お銀様は人間を見ることができませんでした。愛せんとして愛し得ざること故に、すべての人間がみんな憎しみに変ってしまったようなものでありました。
ところが、弁信はどうです。お銀様自身は、弁信を愛しているとは思わない。弁信がいることによって、特に愛着と煩累《はんるい》とを感じたこともないが、弁信がいないことによっても、なんら自分の愛の生命の一片を裂かれたと感じたことはない。そうかといって、彼を憎んでいない証拠には、自分の家へ連れて来て、永らく生活を共にしていながら、ついぞ彼のお喋《しゃべ》りに干渉を試みたこともないし、彼をわずらわしく感じたこともないので知れる。すでに愛してもいないし、また憎んでもいないとすれば、いったいお銀様は今まで、弁信に対してのみ、どんな待遇を与えていたのか。
自分ながらそれが今になってわからなくなっているのです。淡《あわ》いこと水の如き存在、薄いこと煙の如き存在が、今、鉄の如くお銀様の胸に落ちて来ようとしました。
なぜ自分は、あんなに無雑作にあの小法師を逃がしてしまったのか、あのお喋り坊主は真そこ、わたしというものに愛想を尽かして出て行ったものか、但しは、自分の仕打ちが誰にもする例によって、自然、出て行けがしになって、ついに居たたまれずに、あの可憐な小坊主をさえ追い立ててしまったのか。
なぜに弁信は出て行ってしまったのか、また、どうして自分がああも無雑作に弁信を出してしまったのか、その差別が今のお銀様にはわからなくなってしまいました。
思い去り、思い来《きた》ると、いよいよ彼の存在が不思議でたまりません。今日までかの小坊主の如く、自分に向って真正面に抗弁をしきった者は曾《かつ》てないのです。親といえども一目を置いているこのわたしというものに向って、たとえ上長たりとも、一言半句、批判の余地と圧迫の行動を許したことはないのに、ひとりあのお喋り坊主のみは、わたしに対して無際限の減らず口を叩いた、あの小坊主の信じているところはいちいち、わたしに真反対でありながら、そうして事毎に論争を闘わしながら、
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