り込み、そのまた景気を聞きつけて、諸商人ならびに近国近在の保養客が、ずんずん押しかけて来るものですから、平湯が思いがけぬ大繁昌を極めました。
といっても、本来いくらもない宿のことですから、附近の農家でも、小屋でも、臨時に借受けの客が溢れ、泥縄のような増築が間に合い、そうして飛騨の平湯が、ここのところ山間の一大楽土になりました。
そのくらいですから、朝も、晩も、浴槽の中は芋を盛ったようにいっぱいで、歌うもの、囃《はや》すもの、男も女も、若きも老いたるも、有頂天《うちょうてん》です。夜はまた広い場席を借りて、商売の芸人を呼ぶことでは事足らず、おのおのの得意な芸づくしがはじまる。
平常の時に於ては、これらの客は、山間田野の無邪気な団体客が一年の保養をする程度であったけれども、今年の景気は全くばかな景気で、来るほどの者がみな有頂天となって、無邪気に保養は忘れてしまいます。
こういう際にあって、人間の風俗が崩れ出すのは免れ難いことと見え、ただでさえ温泉場には、幾多のロマンスが起りつ消えつする習いなのに、こういう景気になってしまっては、若い者同士だけではなく、妻のある夫はもとより、夫のある妻までが、大抵はある程度まで、イヤなおばさんかぶれになるものらしい。
それがまたこういう際に、ある程度まで黙認されるようなことになって、古《いにし》えの時代の歌合《かがい》、人妻にも我も交らん、わが妻に人も言問《ことと》えという開放性が、節度を踏み越させてしまうのも浅ましい。
ここの場所、ここの瞬間だけでは、密会は公会であり、姦通も普通として、羨まれたり、おごらせられたりするうちはまだしも、ついにはそれがあたりまえのこととなってしまって、憚《はばか》る人目の遠慮も必要がなければ、羨み嫉む蟠《わだかま》りというものも取払われてしまってみると、なあにこういう開放時代は、一年に一度と言いたいが一生に一度あるかないのだから、野暮《やぼ》を言うものではない、ここ一日二日の後には、てんでに里へ帰って真黒になって稼ぐのだ、ここは暫く歓楽の世界、苦い顔をすることはない、人のするように自分もやれ、それがええじゃないか、ええじゃないか。
高山でちょっと手を焼いたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百なんぞも、こんなところこそあいつの壇場であるべきはずだから、きっと、どこにか姿を見せて、湯気の後ろから山
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