わからないって騒いでいるところが乙[#「乙」に傍点]じゃありませんか。小娘というものは、そういうものなんですね、介抱していると思っているうちに介抱されちまうんですから、変なものです。そこへ行くってえと……功を経た奴にゃかないません。早い話が……」
 一方が絶対に無反抗の沈黙だから、一方も無方図《むほうず》の出鱈目《でたらめ》を並べることになる。そこに何か無形の警察があって弁士に中止を命ずるか、不文の法律があって発言を禁止させるかしない限り、こういう席では、野方図《のほうず》の限りを尽せば尽せるようなものだが、この世の中にも世の外にも、必ず無制限力を制する制限力が、眼に見えたり見えなかったりするところに存するもので、ひとりピグミー風情にだけ、こんな野方図が許されるわけのものではない。また油壺を取り上げて舌なめずりをしながら、弁信の寝顔を覗《のぞ》き込んで話題を続けようとする時、
「おい、ピグミー、ピグミー」
と、隣り座敷から不意に呼びかけたものがあったには、ピグミーもびっくり仰天して、思わず手に持てる銅壺《どうこ》を取落そうとしました。
「な、な、なんですか、そちらで拙者をお呼びになるのは、どなたでございますか」
「そこへ行くてえと……功を経た奴にゃかなわないと、お前いま言ったね、その功を経た奴というのはいったい、誰のことなんだえ、さあ、それを言ってごらん」
 隣り座敷から聞えたその声は、やや年を食った女の声で、最初からピグミーを呼びかけたのが高圧的であり、二度目に言いかけたのは、まさに手づめの詰問で、その調子はもう一言いってごらん、返答によっては只は置かないよという、強い威嚇を含んで響いて来たものですから、おぞましくもピグミーが慄《ふる》え上ってしまったのは、単に不意を打たれたばかりではない、この女の声の主に対して、何か若干の弱みを感じている者でなければ、こうはならないはず。そこで、ピグミーはシドロモドロで、
「いいえ、決してあなたのことを言ったのではございません、いや、ただ世間にはそうした奴もあるという例えを引こうと思っただけで、イヤなおばさん、あなたの噂《うわさ》なんぞ言い出そうというような不了見《ふりょうけん》ではございませんでしたから、どうぞごかんべんください」
「知らないよ、お前は、あたしのことを言おうとしたにきまっている、ピグミーのくせに生意気な、はじめ
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