あります。
果して、あれだけで引揚げるようなピグミーでは決してない。音も立てずに例の屏風《びょうぶ》の蔭からこっそりと再び姿を現わして、赤い舌を吐き、にったりと笑った、それがすなわち今のしつっこい業物です。にったりと笑いながら、以前のように、むんずと弁信の枕許に於て、ちっぽけな膝を悪態に気取って組みながら、同時に左手の方に置き換えたものは、銅の行燈《あんどん》の油壺です。それと同時に一方、右の手を懐中に差し込んだと見る間に取り出したのは、一本の蝋燭《ろうそく》――
ははあ、さては今ちょっと外出と見えたのは、部屋部屋を通ってこの蝋燭を掻《か》き集めんとの目当て。
「とかく、話敵《はなしがたき》の席にも、やはり兵糧というものの用意が要りますよ、腹が減ってはお相手もなりかねますから、この通り食糧を掻き集めて参りました、これさえありゃあ――」
と言ってピグミーは、一本の蝋燭をカリカリと噛みはじめ、そうして一方には、油壺の油を注口からガブガブと飲み、
「ピグミーだって、あなた、時々は油っこいものを食べないと、身体がバサバサになって骨ばなれがしてしまいます。ああ、結構結構、こうして養いをしておきさえすれば、矢でも鉄砲でも――松倉郷の名刀でも、乃至《ないし》弁信さんの、のべつ幕なしの舌鋒でも、何でも持っていらっしゃい、さあ、いらっしゃい」
酔っぱらいが管を巻くように、このピグミーは油に酔っぱらったらしい。
こうして挑《いど》みかけたけれども、弁信のスヤスヤとした寝息は更に変りません。
「よろしい――弁信さんは弁信さんとして、存分にお眠りなさい、わっしはわっしとして、勝手に熱を吹いてよろしいというお約束でしたな。では、第一伺いますがね、弁信さん、お前さんはあのお雪ちゃんという子をどう思召《おぼしめ》しますね、それからまたお雪ちゃんが侍《かしず》いていたあの気持の悪い盲目の剣客――あの人をいったい何だと思います」
「…………」
「お雪ちゃんという子は、ありゃあれで存外の食わせものですぜ」
「…………」
「それから、あの竜之助って奴、あれはまあ、一口にいえば色魔なんだね」
「…………」
「わっしの見るところでは、お雪ちゃんの妊娠は事実だと思うんですよ、あの子はまさに孕《はら》んでるんでさあね」
「…………」
「それがお前さん、いつ孕ませられたか、どうして身持になったか、御当人が
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