いうもののお守役を仰せつかって、それより以上に名古屋でも膝を乗出すわけにはゆかず、また、名古屋を中に置いて事を為さんとすれば、どうしても上方《かみがた》を見て来ないことには、東西をひっくるめての大芝居は打てないわけですから――万事は帰りとして、さあ、もうこの辺で一応金の鯱《しゃちほこ》へもお暇乞いをした方がよかろうという気になったのは、一つは道庵先生に先を越されたその羽風にも煽られたのでしょう。
そう思い立つと、お角さんとして愚図愚図することはできないから、もう明朝にも上方へ向けて出かけようじゃないか、それには自分たちの方は、あ[#「あ」に傍点]と言えばさ[#「さ」に傍点]だが、お銀様へ御都合を伺っておかなければならぬと、お角さんはともをつれて、本町の近江屋という宿へお銀様を訪れたのはその晩です。
「お嬢様、明日あたり、名古屋をお立ちになりませんか」
「明日」
「はい、もう名古屋も大抵おわかりのことと思いますから」
「明日はいけません」
「お都合がお悪うございますか」
「別に都合が悪いというわけでもありませんが、明日は見物するものがあります」
「おや、まだ御城下にお見残しがおありになりますか」
「城下の見物じゃありません、明日は約束があって、ほかに見に行かなければならないものがあります」
お角さんは腹の中で、ちぇッと言いました。何の約束か知れないが、大抵の約束なんぞは蹴飛ばして、わたしたちが出かけると言ったら、一緒に出かける気になってくれたらよかりそうなものだ、お角さんの気性として、出かけるときまってからグズグズしているのは、焦《じ》れったくてたまらない。
「お約束でございますか、犬山から木曾川の方へでもいらっしゃるんでございますか」
「いいえ、そうじゃありません、明日は磔刑《はりつけ》を見に行こうかと思います」
「えッ、磔刑?」
さすがのお角さんも、このごろはどうも度胆を抜かれ通しです。
「磔刑がどちらにございますんですか」
「土器野《かわらけの》というところにあるそうですから、ぜひそれを見て立ちたいものです」
「まあ、土器野に、どんな奴が磔刑にかかるんでございますかねえ」
「それは、この近在の味鋺《あじま》というところに生れた子鉄《こてつ》という強盗なのです」
「まあ――」
お角さんはお銀様の横顔を見ました。
呆《あき》れているのです。
何というイヤ
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