めくり、
「これは面白そうだね、雪国の話、大きな熊が出ているわ――誰が写したのか女の手のようね、なかなかよく書いてある、絵もよくうつしてあるわねえ」
 それがお目に止まったのは、得たり賢しというみえで、番頭が、
「うつしたのは、いいところのお嬢様なんですが、特にお頼みして書いていただきました、その初《はつ》おろしをこちら様に読んでいただきたいものでございますから、まだ綴目《とじめ》折らずでございます」
 商売柄、如才ないところがある。なんにしても初物は気持が悪くないと見えて、お蘭の方の御機嫌も斜めでなく、
「では、ゆっくり貸して置いて下さい、これんばっかりじゃないでしょう、まだあとが続くんだろうねえ」
「ええ、続くどころではございません、まだあとが五十冊もございます、一生懸命うつさしておりますから、追々とごらんに入れまする」
 若い番頭がまた頭をこすりつけると、いよいよ御機嫌のよいお部屋様は、
「まあ、政ちゃん、こっちへ入って、殿様から一つお盃を頂戴なさい、今日はわたしたちの雪見だから無礼講よ」
「これは恐れ入りました」
「御前様、これがあの鶴寿堂の政吉でございます」
「そうか、入れ入れ、今日は雪もないのに、この女からせがまれて雪見だ。貴様、なかなかの色男だという評判だが、何か艶種《つやだね》があるなら語って聞かせろ。それ――」
 これが、いわゆる新お代官の下し置かれるお言葉で、そのお言葉が終ると、それと言って投げてくれた盃です。
 恐れ入ってしまって、その受けようも知らないでいると、お部屋様が、
「政どん、御前がああおっしゃるから、御辞退は失礼だよ、遠慮なくこちらへ入って頂戴なさい」
 ぜひなくその前へ引き込まれて、御両方《ごりょうかた》の前へ引据えられたという次第です。
 引据えられると共に、下し置かれた盃を恭《うやうや》しくいただかねばなりません。
「ほんとうにこの政どんは、人間がおとなしくって、商売に勉強で、親切気があるといって、お得意先で持てること、持てること……町の芸妓《げいしゃ》たちなんぞは、政どんからでないと、本を借りないことにしてあるそうでございますよ」
とお部屋様がはしゃぐ。新お代官は頷《うなず》いて、
「そうかそうか、色男というやつは得なもんだ、拙者もあやかりたいものだ」
「御前、この政どんは、一まきがみんな色男に出来てましてね」
「うむ、そう
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