ういう奴が近所へ来た時には、何か勘避《かんよ》けの方法を講じておかんと、安心して生活はできない」
「それから、今のその西鶴の盲人|咄《ばなし》の最後の『おたか米屋』というのは、いったいどんな米屋なんですか」
「さあ――」
それには、柳水宗匠も、ちょっと註釈に困ったようでしたが、
「とにかく、男まさりで、女手で切って廻す米屋の女あるじで、相当の評判者なることは確かだが、戸籍の謄本はここにありません」
「つまり、飛騨の高山の穀屋の、イヤなおばさんといったようなタイプだろう」
「は、は、は、まず、そんなものかね」
ともかく、一座の散会がこの笑いに落ちることになりました。
四
弁信が、その輪講の席を辞したのは、講義半ばの時分であったか、その終りに近づいた頃であったか、但しはのっけに輪講の初端《しょっぱな》、品右衛門爺さんや久助さんが、好意的退席を勧告された時分に、一緒に身を引いたものか、そのことは誰も気のついたものはありませんでしたけれど、弁信が自分の部屋としてあてがわれた三階の源氏香の一間に来て、夜具の傍らにホッと息をついたのは、この夜も闌《たけな》わなるある時刻の後でありました。
この源氏香の間というのが、偶然にも――実は偶然でもなんでもなく、竜之助が引籠《ひきこも》っていたその部屋で、お雪ちゃんもその次の座敷にいて、絶えず往来していたのです。そこが手つかず、あのままで人を泊めるにいいようになっていたから、少し遠いにも拘らず、皆の者が弁信にこの部屋をあてがったものです。
あてがわれた弁信は、一議に及ばずその好意を受けてしまったが、遠くて不自由だろうと思いやりながら、ここへ弁信を導いて来た人が、かえって、弁信の物怖《ものお》じをしないのに舌を捲いたようなあんばいです。のみならず、普通の人よりもいっそう都合のよいことは、遠い廊下道や梯子段を、手燭《てしょく》も提灯《ちょうちん》もなくして平気で歩いて行けるから、座敷さえ教え込んでしまえば、抛《ほう》り出して置いて手数のかからないこと無類です。
さきほど、たった一人で、長い廊下を伝って二重の段梯子を上り、間違いなく、この源氏香の間に辿《たど》り着いた弁信。
夜具の前にちょこんと落着いて、そうしてお祈りをしました。
それは、お祈りというべきものか、念仏というべきものか、或いは、かりそめに無念
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