成人――熊――によって、自らを慰めようとする切なる心もないではないのです。
 ところが――熊は熊であっても、猛獣としては日本第一であり、犬よりも段違いであるところの熊でこそあっても、その素質としては、どうも米友の期待するようにばかりはゆかぬと見え、せっかく米友が訓戒を加えている時に、そっぽを向いて取合わなかったり、どうかすると、しゃあしゃあとして放尿をやらかしたりするかと見れば、食物をあてがうと遠慮なく手を延ばして来る。
「やいやい、ムクはそんなじゃなかったぜ、ガツガツするなよ、お行儀よくしてろ、お前にやるといって持って来たものだから、誰にもやりゃしねえ。やい、手前、ほんとうに行儀を知らねえ奴だな、ムクはそうじゃなかったぜ、てめえ食えと言わなけりゃ、お日待の御馳走を眼の前に置いたって手をつけるんじゃねえや、身《み》じんまくだって、いつ、どこへ行ってどうして始末をして来たか、ちっともわからねえくらいのものだ。それに手前ときた日にゃあ……」
 米友はこう言って呆《あき》れ返りながら、それでも癇癪《かんしゃく》を起さず、
「まあ、仕方がねえや、ムクなんて犬は広い世間に二つとある犬じゃなし、それにもう年を食ってるからな、物事を心得ていらあな。手前はまだ若いから無理もねえといえば無理もねえのさ」
 米友としては、つとめて気を練らして、食物を与えることから、おしめ[#「おしめ」に傍点]の世話までして育ててやることにしている。
 米友のこの稀有《けう》なる心づくしが少しもわからない子熊は、食物をあてがわれる時のほか、恩人を眼中に置かず、排泄《はいせつ》の世話まで米友に焼かせているくせに、ちょっと眼をはなせば脱走を試みたがって油断もスキもならない。先日、道庵の講演の席を滅茶にしたのも、実は米友として、熊の素質をムクを標準に信じ過ぎたものだから、あんな結果になった。
 米友としては、檻を出して、座敷へも、庭へも、連れ出して遊ばせてやりたくもあるし、また足柄山の金太郎は、絶えず熊と角力《すもう》をとって戯れていたということだから、子熊ではあっても、熊というやつがどのくらいの力を持っているものだか、自分の手でひとつ験《ため》してみてやりたいと思うのは山々だが、それができないということを感じ、こうして檻からちょっとも外へ出さないで置くだけに、いっそう骨も折れる。
 すべてに於てムクなんぞと
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