ました。あとで承ると、ここは乗鞍岳の麓で、鐙小屋《あぶみごや》という小屋の中でございました。わたくしに温かい心と、温かいお粥を下されたのは、この鐙小屋の中で行をしておいでになる神主さんだと承りました。猟師さんと言い、神主さんと言い、まことに親切極まるお方でございましたけれど、わたくしは、このお二方に向っても、強《し》いて再生の恩を謝するというようなことを申しませんでした。申しませんでも、おわかりになることでございますが、わたくしといたしましては、今更それを繰返す心にはなれないのが不思議でございます。口幅ったい申し分ではございますけれども、生死《いきしに》ということは、旅路の一夜泊りのようなものでございますから、生きていることが必ずしも歓喜ではなく、死にゆくことが必ずしも絶望なのではございません。いつも申し上げることですが、いかに生きようとしてもがいても、生き得られない時には生きられません、いかに死のうとして焦《あせ》っても、死を与えられる時までは、人間というものは決して死ねるものではございません。わたくしは、このごろになって、ようやくこの悟りがわかりました。その事の最初は、皆様のうちには、御存じのお方もございましょうが、江戸の外《はず》れの染井の伝中というところの、ある屋敷の中で、神尾主膳殿というお方のために、わたくしは生きながら深い井戸の底へ投げ込まれてしまいました。その時に、わたくしは懸命になって、まだ死ぬまい、ここでは死ねない、死にたくないともがきましたが、その甲斐もなく、井戸の底へ投げ込まれてしまいました。その時に、死なねばならぬことは当然すぎるほど当然でしたけれど、不思議にわたくしは死にませんでした。井戸へ落されるまでは、死ぬことをいやがって、車井戸にしがみついて、力限りに泣き叫びましたが、いよいよ井戸の中へ落された時に、私は泣かないで、かえって歓びました」
九十八
「その後とても、現在、わたくしほどの者がこうして、ここまで生きてこられたということが、物の不思議でございます。わたくしのようなものでも、この世に生かして置いてやろうとの、お力があればこそ、こうして生きておられるのでございます。よし、わたくし自身といたしましては、こんな無智薄信の不自由な身が、この娑婆《しゃば》の中に、足あとほどの地をでも占めさせて置いていただくことが、この世にとっては、いかに御迷惑な儀であり、わたくしにとりましては、軽からぬ苦痛の生涯でありましょうとも、生かし置き下さる間は死ねませぬ。死ねない間は、わたくしは、わたくしとして、与えられたこの世の中の一部分の仕事が、まだ尽きない証拠ではございますまいか。言葉を換えて申しますと、わたくしの身が、前世に於て犯した罪悪の未《いま》だ消えざるが故にこそ、わたくしはこの世に置かれて、その罪業をつぐなうのつとめを致さねばなりませぬ。ああ、昨日は雪の中で凍えて死なんとし、今日はこうして、のんびりと温泉につかって骨身をあたためる、あれも不幸ではなし、これも幸福として狎《な》るる由なきことでございます。きのうの不幸は、わが過去の業報であり、きょうの幸福は、衆生《しゅじょう》の作り置かるる善根の果報であることを思いますると、一切がみんなひとごとではございません。さあ、もうこのくらいにして上りましょう。お湯から出たら、この炉辺へ来てお茶をあがれ、と北原さんというお方がおっしゃって下さいましたから、これから、わたくしはあの炉辺へ行って、お茶を招ばれるつもりでございます。この温泉場には、今年は珍しく、多数の冬籠《ふゆごも》りのお客があるそうでございまして、あの炉辺がことのほか賑《にぎ》わう、弁信、お前も珍しい新顔だから、ここへ来て旅路の面白い話をしろと、皆様からもすすめられましたから、わたくしもこれからお茶に招ばれながら、皆様のお話も承ったり、それからわたくしの話も申し上げたいと思いますが、わたくしは、どうも御存じの通りの癖でございまして、話をはじめると長うございますから、時と場合をおもんぱかりまして、皆様の御迷惑になるような場合には、慎んで控えていようとは心がけているのでございますが、本来、わたくしのこちらへ志して参りましたのは、どうも、あのお雪ちゃんの声で、しきりにわたくしに向って呼びかける声が、わたくしの耳に響いてなりませぬから、その声に引かされて、こちらへ参ったような次第でございますが、参って見ますると、ここにお雪ちゃんがいないということは――それは、大野ヶ原へ来る前から、ふっと勘でわかりました、お雪ちゃんがいない以上は、わたくしのこの地に来るべき理由も、とどまるべき因縁も、ないようなものでございますが、ここへ導かれたということ、そのことにまた因縁が無ければならないと存じました。これはわたくしの力ではござりませぬ、そうかといって、わたくしを助けてお連れ下さった猟師さんや、鐙小屋《あぶみごや》の神主様のお力というわけでもござりませぬ、全く目に見えぬ広大な御力の引合せでございまして、この広大な御力が何故に、わたくしをたずねる人の、すでに行き去ったあとのここまで導いて下さったか、その思召《おぼしめ》しは今のわたくしではわかりませぬ。わからないのが道理でございます、分ろうといたしますのも僭越でございますから、導かれた時は導かれたままに、そこに己《おの》れの全力を尽して善縁を結ぼうという心が、すなわちわたくしどもの為し得るすべてでなければなりませぬ。古人は随所に主《あるじ》となれと教えて下さいましたが、どうして、どうして――わたくしなんぞは随所に奴《やっこ》となれでございます。どうぞ皆様、この不具者《かたわもの》のわたくしでよろしかったならば、何なとお命じ下さいませ、琵琶は少々心得ておりまする、何卒、この不具者にできるだけの仕事をさせて、可愛がってやっていただきとうございます。ああ、いい心持になりました、白骨のお湯は、わたくしの骨まで温めてくれました。わたくしはこれから、皆様の炉辺閑話の席へお邪魔をいたして、また温かいお心に接し、あたたかい焚火にあたらせていただき、皆様のお話をおききしつつ――わたくしも心静かに、お雪ちゃんの行方《ゆくえ》を尋ねたいと存じます」
九十九
弁信法師が浴槽から上って、例の炉辺閑話の席を訪れた時に、炉辺には、また例によっての御定連が詰めかけておりました。
御定連といううちにも、お雪ちゃんもいないし、久助さんもいないことは勿論《もちろん》だが、池田良斎を中心にして、北原賢次もいれば、いつもの甲乙丙丁おおよそ面《かお》を揃えている。ただ見慣れない猟師|体《てい》の人が一人、推察すれば多分、いま、浴槽の中で、しばしば弁信法師の口に上った黒部平の品右衛門爺さんであろうと思われる顔が、新しい。
炉の中心には、例の大鍋がぶらさがっていて、それには大粒の栗がゆだりつつある。炉中の火は、木の根が赤々と燃えて、煙は極めて少なく、火力が強いから、煙の立たない石炭を焚いているようで、一方には大鉄瓶がチンチンと湯気を吐いている。なおまた炉中には、蕎麦餅《そばもち》らしいのが幾つも、地焼きにころがしてある。外気が寒くなるにつれて、炉辺の人間味が、いよいよ増して来るのを常とする。
「皆様、おかげさまで、ゆっくりとお湯につからせていただきまして、ほんとうに骨までがあたたまってまいりました。火で焚きましたお湯と違いまして、天然に涌《わ》き出でまするお湯は、肌ざわりがまた天然に軟らかでございますものですから、ほんとうに久しぶりでわたくしは、我を忘れてお湯の中へ魂までつけこんでしまいました。これも、身心悦可柔軟という気持の一つでございましょう」
普通、今晩は……だけの挨拶で済むべきところを、一口にこれだけのお喋《しゃべ》りをしながら、一座に向って、ていねいにお礼を申しましたから、まだ弁信をよく知らない一座は、なんとなく異様に感ぜしめられました。
「弁信さん、まあ、こっちへおいでなさい、さあ、ここでおあたりなさい」
と弁信を導いたものは、北原賢次です。
「はい、有難う存じます、いえ、もう、こちらで結構でございます」
「遠慮なさらずに、こっちへいらっしゃい、さあ、手をとってあげましょう」
「いいえ、それには及びませぬでございます。では、せっかくのおすすめでございますから、それに従いまして、遠慮なく罷《まか》り出ますでございます」
「あぶないですよ」
「いいえ、大丈夫でございます、眼はごらんの通り不自由でございますが、御方便に、勘の方が働きますものでございますから」
「いや、何しても、無事でお前さんがここへ来られたことは、奇蹟というてもいい」
「はい、わたくしと致しましても、不思議の感がいたすのでございます」
こう言って、弁信法師は炉辺に近いところへ、にじり出でて、ちょこなんとかしこまりこんでしまいました。
「だが、弁信さん、お前さんも了見違いなところがありますよ」
「ありますとも、ありますとも」
北原に言われて、弁信が、ちょこなんとかしこまりながら、身体《からだ》を軽くゆすぶって、
「あります段ではございません、もともと一切が、わたくしの了見違いから起ったことなんでございます」
「そう言われてしまっては、恐縮で二の句がつげないというものだが、いったい、お前さんという人が、その身体で、見れば眼も不自由でありながら、今時、この白骨の谷へ、たった一人で、出向いて来ようなんというのが、そもそも了見違いの骨頂なんですよ」
「その通りでございましたが、どうも、わたくしの身を、こちらへ、こちらへと、引きつけてまいる力があるものでございますから……と申しますのは、かねて、わたくしの知合いの一人のお友達がございまして、その方が、わたくしに向って、絶えず呼びかけておいでになります、弁信さん、一刻も早くこの白骨谷へ来て下さい――と言って、絶えず呼びかけて下さるその力が、わたくしをとうとうここまで引き寄せてしまいました」
百
「その力に引き寄せられて、わたくしは、知らず識《し》らずこの山の中に分け入りまして、ついに大野ヶ原の雪に立迷うてしまったという次第でございます。それは、向う見ずとお叱りを受けるかも知れませんが、いずれ、旅という旅で、向う見ずの旅でないものが一つとしてございましょうか。人間の一生そのものを旅といたしますると、出ずる息は入る息を待たぬ、とか申します、今日のことがあって、明日のことを誰が知りましょう。なあに、あなた、わたくしの心得違いは心得ちがいに相違ございませんけれども、玄奘三蔵渡天《げんじょうさんぞうとてん》の苦しみに比ぶれば、これは日本国のうちの、僅かに信濃の国のこと――」
この辺に来ると一座が、ようやくこのお喋《しゃべ》り坊主が、容易ならぬお喋り坊主であることに、ややおそれをなした様子でありました。これにのべつ喋らせたら、たまらないのではないのかとさえ、おそれ出したものもあったようですが、さりとて、それを抑止すべききっかけ[#「きっかけ」に傍点]もないままでいると、弁信はいっこう透《すか》さず、
「なんに致しましても、わたくしがあの雪の大野ヶ原の中に立ちすくんでおりました時に、ふと、わたくしの耳許《みみもと》で私語《ささや》く声がいたしました。それは人間の声であろうはずがございませんが、人間同様のなつかしさを伝えてくれる、小鳥の声でありました……」
と言って、弁信が小首を傾けたのは、その話題にのぼった場合の小鳥の声を、再び耳にしたからではありません――そこで暫くお喋りの糸をたるめていたが、全く調子をかえて、
「外へ、どなたかおいでになっています」
「何ですか」
「今、あちらの方の山を越えて、この宿へ参った方がございます、その方が、戸外《そと》で御案内を乞うておりますよ」
「そんなはずはないよ」
と言っている途端に、表の戸をドンドンと叩く音がしました。
音がして、はじめて炉辺の一同がそれを合点《がてん》したので、弁信のは、それより以前、
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