おいでなさい」
「お寒いでしょうけれど、暫く御辛抱なすって下さいね」
「寒いぐらいは何ともありません」
「その代り、わたしが宿の人に頼んで、直ぐによい避難所を探して来てあげますから」
「ああ、何しろ火事場はあぶないから、怪我をしないようにね」
「大丈夫、先生こそ、お風邪《かぜ》を召さぬように」
「なあに、わしは大丈夫だ」
と言いました。
暗いから、よくわからないけれども、竜之助は、お雪ちゃんのように寝巻一枚ではなく、急の場合に、手まわりで身づくろいの出来るだけのことはして来ているようです。ですから、ここで、うたたねをさせて置いても、そんなに急に風邪をひくようなこともあるまいと思われるのに、自分は、ホンの寝巻一枚――急にゾクゾク寒気がしてきました。
気がついてみれば、自分がこの人を呼びさまして、連れてここまで避難して来たというのは全くウソで、事実は、この人に自分が抱えられて、裏梯子を下り、小川を飛び越え、河原を走って、ここまで来たのだということが、この時、はじめてわかりました。
途中、緊張しきって、我を忘れていたものですから、そこは水でございます、そこに石があります、ああ大きな穴が
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