が置捨てられてあったのです。
 一切のものといううちに、その数々を挙げてみるよりは、その中から取り出し得たものは、この身体《からだ》と、この身についた寝巻一着だけ、という方がわかり易《やす》いでしょう。しかも、この寝巻は自分のものではありません、帯までが宿のものなのです。
 河原の真中へ来た時分に、盛んに燃えている自分たちの座敷のあたりを見ると、お雪ちゃんは急に恐ろしくなってしまいました。
 ああ、なんだって自分は、こんなに、はしたないのでしょう、せめてあの帯揚だけも、あの手文庫だけも、あの紙入だけも、立ち上る途端に、しっかりとここへ挟んで来ればよかったものを――命より大事なものは無いと言いながら、旅に出ては命同様の役目をする路用の一切を焼いてしまった、ほんとに明日からは、どうするのでしょう。
 久助さんは……久助さんは、どうしたろう、あの人は耳が少し遠いから、わたしがああ言って呼んであげたのがわかったかしら。わからなくても子供じゃなし、逃げ出せないはずはないが……
 お雪ちゃんは、ようやく、河原の中程へ来て、わが身のことと、人の身の安否を考えたが、どちらもたよりないことばっかり……で
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