てしまったこと、我々貧乏人が中年から飛び出して、やっと絵具の溶き方がわかった時分には、もう白髪になってしまっているというような大悲惨な行き方とは、天分の恵まれ方が違っていましたね。基礎学は子供のうちに叩き込んでしまって、一意、自家の大成に全力を注ぎうるように仕組まれていた彼の境遇も、仕合せといえば言えますが、天はその実力なき者に、優越の環境を許すものではありません、時代は永徳を現わさねばならぬようになっていたから、優秀な上に、優秀な待遇を与えて世に送り出しました。実際、彼ほど偉大な日本画家はない如く、彼ほど恵まれた環境を持った画家もありませんでした――祖父に元信があり、漢画と大和絵を融合して、日本の絵の技術を総合した上に、保護者が、その天下第一の英雄である秀吉であり、その秀吉よりもいっそう天才である信長でしたからね」

         二十四

「秀吉が永徳の唯一の保護者というわけではないが……永徳は信長のためにむしろ傾注していたに相違ないが、安土《あづち》の城が焼けると信長の覇業《はぎょう》が亡び、同時に永徳の傾注したものも失せました。そこで、秀吉はつまり信長の延長といってさしつか
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