主膳は、それも無理ではないと思う。
 枕許の酔ざめの水を飲んで、うまいと思い、それから手水《ちょうず》に行こうとして、ひとり立ち上った足どりも、あんまり危なげはない。
 勝手知った廊下を歩んで行く。
 なるほど、夜は更けている、何時《なんどき》か――おやおや鶏が啼《な》いているわい。
 夜明けの近いことを知った主膳は、なんだか一種異様の里心といったようなものに動かされて、本当にはっきりした気持で、また廊下を歩いて帰りました。
 たまに、こんな気紛れ遊びをすることも、頭が冴《さ》えていいものだ、幸いにして乱に落ちなかったのは、我ながら上出来というものだ。いや、我ながらではない、ここのお倉婆あの趣向が上出来というものだろう。あの婆あ、煮ても焼いても食えない奴だが、それでも、人のふところを見て取扱う呼吸は、手に入ったものだ。
 酒に酔わせるよりは、踊りに酔わせて、夢心地のうちに人を抱き込むところなんぞは、伊勢古市でやっているような仕組みだが、あんなにされると、アラが知れない。
 主膳は、こんなことを考えて、ニタリニタリと合点《がてん》しながら、廊下を帰って、自分の座敷へ戻ったのだが――戻った
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