《いきざら》しを徹底的に見まもっていたのがこの眼でした。そして、僧侶という人間界の特別階級の為せる汚辱と、冒涜《ぼうとく》が、白昼、俗人環視の真中で曝されていることを見て、その眼が、痛快な表情を以てクルクルと躍り出したかのように、かわるがわるその曝し物を貪《むさぼ》り見て、飽くことを知りませんでした。
 これは、単にこの事にのみ限った例ではありません。すべて、その視力の及ぶ限りでは、人間というものの間に行われる、すべての汚辱と冒涜、破倫と没徳、醜悪と低劣、そういうものに向っては燃えつくような熱と、射るような力を以て、それを見のがすまいとはしています。見出したが最後、それが燃え尽すまでは、見捨てるということは不可能らしい。
 坊主の冒涜ぶりを貪看《どんかん》して、飽くことを忘れたこの眼が、その坊主が、蔭間《かげま》という人間界の変則なサード種族に似ているという偶語を聞いてから、その凝視から一時解放されると共に、今度は、その蔭間というやつを見てやらねばならぬ――という熱と力とに変化してきたのは、当然のような経路でありました。
 この眼こそは、人間というものが、極度まで汚さるるところを見たい
前へ 次へ
全323ページ中276ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング