姿形を、頭に残していようはずはないにきまっている。
主膳は、この思いがけない大女の出現と、その大女が、酒をすすめるためでなく、禁酒の監視役として出張して来たような態度に、相当興をさまさないわけにはゆきません。
「一杯ぐらいはよかろう、ほんの一杯飲ませてくれ――相手の来るまでの退屈しのぎにな」
「少しぐらいならかまいません」
「許してもらえるかな」
「飲み過ぎて、酒乱を起しさえしなければ、差支えはございません」
「差支えないか」
主膳は、お茶屋へ、酒飲みの請願に来たような心持で、いっそ、多少の愛嬌をさえ感じたらしく、
「さしつかえなくば、ほんの少々のところ、お下げ渡しが願いたい」
「お待ちなさい、わたしが、おっかさんに相談して、差上げていいと言われたら、差上げることにいたします」
「そうか、では、おっかさんに相談して、ほどよいところを少々、お恵み下し置かれたいものだ」
「待っておいでなさい」
大女は、のっしのっしと出て行ったが、その後で、神尾主膳は呆《あき》れがとどまらない。
それでも、しばらくして、酒盃をととのえて来て、主膳をもてなすだけのことはしました。
お酌《しゃく》もす
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