でとどまる旅路ではない、峠の彼方《かなた》にはお浜の故郷もあれば、慢心和尚も待っている――今度はそれより先の道中、どうかするといずこの果てかで、弁信法師あたりにもぶつからない限りもないでしょう。
七十八
根岸に閑居の神尾主膳とお絹は、閑居は相変らず閑居に違いないけれど、このごろは、幾分か荒《すさ》みきった生活に経済的に潤いが出来たらしく、お絹は、しげしげと買物に出かけたり、家へ寄りつかないではしゃいでいることもあるのを以て見れば、どこからか水の手が廻っているものと見なければならぬ。だが、どこからといって、ほかから来るところがあるはずはない、多分七兵衛あたりが、さんざんに人を焦《じ》らした上で、その稼《かせ》ぎ貯めを、ぱっとばらまいたものと見るよりほかはないでしょう。
七兵衛の奴は、稼ぎさえすればいいので、稼ぎためなんぞは存外、頭に置いていない男だから、自分が稼ぐことの興味と、労力とのほぼどの程度であるかということを、相手に納得させてやりさえすれば、その粕《かす》に過ぎないところの稼ぎためなんぞは、思ったより淡泊に投げだしてしまうに違いない。ところが、二人のうち
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