ったこともあるだがね、そうすると、登様は、お松さんや乳母《ばあや》がついているから少しも心配はねえが、この郁坊、郁太郎さんがかわいそうだと思ってね……それだって、なにもわしがいなくても、やっぱりお松さんや乳母《ばあや》が、登様同様に可愛がって下さるから、少しも心配はねえと思っていたが、でも、今日まで、そこまでの踏《ふ》んぎりはつかなくっていたのを、今晩、お松さんから、こんな相談を受けてみると、わしがこのごろの心願も、言わずにゃいられなくなったのさ」
「だけども、与八さん、まあよく考えて下さい、今日までのことを考えて下さいよ、そうして、これからのことと思い合わせてみて下さいな。与八さんとわたしとは、こうしてずいぶん苦労もし合って、これまでになっているでしょう、それを私たちだけが東へ行って、与八さんだけを西へやっていられるものか、いられないものか。第一与八さん、お前さんだってあてどのない一人旅が、どんなに辛《つら》いものだか、今、この場のこととしないで、考えてみてごらん」
「そりゃあね、そりゃあ、わしだって人情というものがあらあね、今まで世話になったお松さんに離れたり、こんな頑是《がんせ》
前へ
次へ
全323ページ中234ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング